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「もう時効だから言うけど…」親友・坂口智隆の引退試合当日、神宮球場の裏で話したこと

文春野球コラム クライマックスシリーズ2022

2022/10/13

苦しんで苦しんでリーグ2連覇を達成

 みなさん、こんにちは。東京ヤクルトスワローズ広報部の三輪正義です。

 9月25日、チームはついにリーグ優勝。そして2連覇を達成しました。最後は苦しんで、苦しんでの優勝。チームみんなが喜びを爆発する姿をカメラに収めながら、頼もしいチームになったなぁ、と感慨に耽っていました。

 はしゃぎすぎる選手の手綱をひきながら、優勝セレモニー、神宮球場でのビールかけと、この場に来れなかった、ファンのみなさんとも喜びをわかちあえるように「必死に」カメラを回しました。

球団事務所に届けられたたくさんの祝酒に喜ぶ筆者 ©三輪正義

 しかし、そのとき僕の頭にはあることがよぎっていました。

 昨年この歓喜の輪にいた、あの男がいないのです。チームの記念撮影で「マーシー(僕)も入ったらエエやん?」と優しく声を掛けてくれたあの男が……。

突然訪れた「ある報せ」

 それは突然訪れました。9月29日、スマホのニュースに現れた「坂口智隆引退」の文字――。

 その前日の9月28日、内川聖一さん、嶋基宏が引退を発表したとき、正直な気持ちを告白すると「坂口は来年もやるんだな」と思っていたんです。その矢先の翌日の引退発表。頭の中が真っ白になりました。

「最後の近鉄戦士、引退」というスマホ上の文字よりも「唯一無二の親友が引退してしまう」。その事実を受け止められませんでした。

 このコラムでも何度も書いていますが、坂口とは、彼が2015年オフにスワローズに移籍してから「助けあってきた仲」。近鉄・オリックス時代に900本以上ヒットを打っているスターなのに、たった60本あまりの僕に打撃のアドバイスを求めてくるような気さくな男。アマチュア時代を含めて、それまでまったく接点がなかったのに、なぜかウマが合い、やがて僕は彼に心から尊敬の念を抱きました。外見とは裏腹(ゴメン!)な真面目な態度。同じ外野手としてともにグラウンドに立ち、月並みな言葉で言えば「苦楽をともにしてきた仲」となりました。

坂口智隆 ©時事通信社

苦楽をともにした男の「ちょっと迷っている……」

 今年の9月の終わり頃、今オフのファン向けの企画をいろいろと考えているときに、坂口に相談したことがありました。「今年も動画企画に出てよ!」という僕の軽い問いかけに、「出れそうにない」「ちょっと迷っている……」という返事。LINEの文言に目を疑いました。

 今年は1軍に24試合の出場にとどまったけど、6月には打率.350、出塁率.458で村上宗隆の後の5番を打って存在感を見せていた坂口。その後2軍に降格も調子は良く、僕はそのときまで、CS、日本シリーズとポストシーズンに向けて、チームの大事なピースになると信じて疑っていませんでした。

 しかし、彼のなかでは「自分の現在地」がわかっていたのでしょう。2019年に引退した僕にも経験がありますが、若い子たちを見ていて、それに負けたくない、絶対に負けないと思っていても、道を譲らなきゃいけないのかな、と思うときがあるんです。

僕の“最期の1年”の支えになってくれた坂口

 当時、坂口の存在が、心に引退の文字が浮かんでは消えていた僕を奮い立たせてくれました。19年、彼は開幕カードで死球を受け骨折、さらには打球が目に当たるなど「心が折れても仕方ない」年でした。そんななかファームで黙々とリハビリや練習に励んでいる坂口。自分自身、体が思うように動かないなぁと思っていた僕は、坂口に(今年でユニフォームを脱ぐ)と言おうと思っていました。

 そんな気配を察したのか「マーシー、俺、リハビリ入りますわ……」と言い、それとなく僕から逃げようとする坂口。「おいおい、お前がグラウンドにいなきゃ、俺、最後までできないよ。ダメダメ!」って頼んだのを覚えています。

「しゃぁないなぁ」と言って、彼はその後の試合にケガをおして出続けてくれました。僕のためだけではないと思うけど、一緒にグラウンドに立つことで、僕の野球人生の“最期”がとても楽しかったのです。