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がんと分かってからも続けた、緩和ケアの仕事。一方で、病は容赦なく進行しました。徐々にろれつが回らなくなり、手に麻痺の症状も出ていたといいます。
そんな関本さんの姿を母親は、同じ緩和ケア医として、複雑な思いで見守っていたといいます。

 

関本剛さんの母・雅子さん:
最後の1年、1年半くらい、みるみる成長して、完全に追い抜かれたなと思いました。当然、「僕たち仲間ですよ」っていう対応で患者さんに関わるので、すごい信頼していただいていました。悔しいけどね

関本さんは、この時の心境を、著書でこう綴っています。

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「がんになった緩和ケア医が語る『残り2年』の生き方、考え方」(宝島社)より:
私は、若くしてがんになってしまったが、そのおかげで人生の残り時間をみつめ、しっかりと向き合う姿勢を取ることができた。

がんになったことで見えてきた、「やらなければならないこと」。亡くなる2カ月前まで、その思いを貫いた関本さんは、がんと闘いながら、多くのがん患者に寄り添ってきました。

関本さんの患者だった女性の息子に、話を聞きました。
治療法がなく、精神的にも苦しんでいたという母親は、関本さんの元に通うようになって以降、穏やかな心境を取り戻していったといいます。

 

関本さんの患者だった女性の息子:
自身を犠牲にしても、患者さんのことをね、診てはったのは事実ですし。
母は痛みに関してすごい恐怖を持っていて、もう「怖い怖い」って、ずっと言ってたんですけど、「この段階でそんな痛みがないんやったら絶対大丈夫」って言ってくれたりとか。一言で言うと温かいですよね

(めざまし8 9月14日放送)