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「横須賀・厚木・茅ヶ崎でスパイ訓練を施し、中国に送り返す」水面下で繰り広げられる米中“情報戦争”

2022/10/15
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 この秘密工作のコード名は「STCIRCUS」。「チベット国民義勇軍」を名乗る部隊を結成し、うち約250人を選抜して、コロラド州の「キャンプ・ヘイル」で破壊工作や無線通信の訓練をした。1958年10月から1959年2月の間に、バンコクからチベット現地にC130輸送機で10トン近い武器・弾薬などを輸送した。約10万人の中国軍に対して、数千人のチベット部隊は勇敢に戦ったようだ。

 動乱のさなか、1959年3月10日に中国側によるダライ・ラマ拉致計画が発覚した。これを避けるため、当時23歳のダライ・ラマは3月17日、宮殿を出て馬に乗り、約20人の従者とともにヒマラヤを越えて、2週間後の31日にインド国境を越えた。この間、CIAがインド政府との調整などで支援、亡命が認められた。

 その後もCIAは1960年まで年間170万ドル(当時の為替レートで約6億円)を亡命政権に提供するなど援助した。しかし、米国はチベットの独立は認めなかった。アイゼンハワー大統領は「僧侶の革命」を望まず、ダライ・ラマとの面会も拒否したという。米国にとってチベットは冷戦期で最後の対中秘密工作になったようだ。

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米中国交正常化の“舞台裏”

 一方、中国側も1970年を境に、対西側外交を活性化する新戦略に出た。そのきっかけになったのは1969年、ウスリー川(黒竜江の支流)の中州・ダマンスキー島(珍宝島)の領有権をめぐって起きたソ連との紛争である。他方、リチャード・ニクソン米政権もベトナム戦争後の対中関係改善を視野に入れていた。中国は1970年、カナダなどと国交樹立、1971年には「キッシンジャーの秘密訪中」、中国の国連復帰、1972年には「ニクソン米大統領の訪中」と続いた。

 中国との「国交正常化」をめぐる舞台の裏で、日米中間の暗闘があったことはあまり知られていない。

 ニクソン訪中の1週間前、2月14日付のCIA「インテリジェンス・メモ」が強い警戒感を示した。

「日本に台湾との外交関係を断絶させ、中国を唯一の合法的政府と承認させる好機になると中国は感じている(中略)日本が中国を承認すれば、米国に対し、それに追随せよとの圧力が高まると中国は信じている」

 つまり、日本が中国と国交正常化をすれば、米国も正常化を求められる、とCIAは懸念したのである。

 先に訪中したのはニクソンで、2月27日に「上海コミュニケ」を発表した。しかしヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は巧みな外交で、米中国交正常化を避けた。

 こうなれば、ぜひとも日中国交正常化を実現させねば、と周恩来首相は考えた。7月7日に田中角栄内閣が発足すると、その3日後に周首相の密命を帯びた「上海舞劇団」が来日する。その団長は舞劇団の人間ではなく、当時中日友好協会副秘書長の孫平化だった。孫は1カ月以上日本に滞在して、大平正芳外相と四回も会談、「日中国交正常化」の概要をまとめた。孫は知日派として知られていたが、同時に情報の世界の人間でもあったといわれる。おかげで周首相の狙い通りの展開となった。

孫平化

 田中角栄首相は9月29日の日中共同声明で「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府」と認めた。台湾についても「中国の領土の不可分の一部」とする中国政府の立場を「十分理解する」と表明した。

 この共同声明を受け、台湾は即日、日本と断交した。

 それから約2年後の1974年11月26日、キッシンジャーは北京の人民大会堂で鄧小平と会談した。鄧は、CIAの予想通り、米国は日本に追随すべきだ、と求めた。

「国交正常化問題では(略)前からわれわれの意見を表明している。それが日本方式だ」と鄧は指摘した。

 不意を突かれたキッシンジャーは「あなたは、われわれに日本のまねをするよう強要している」と突っぱねたが、プライドを傷つけられ、田中に対する怒りを深めた。それが後のロッキード事件発覚につながる。

元共同通信社論説副委員長・春名幹男氏による「処刑された30人の米国スパイ」全文は、月刊「文藝春秋」2022年11月号と「文藝春秋 電子版」に掲載しています。

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処刑された30人の米国スパイ
「横須賀・厚木・茅ヶ崎でスパイ訓練を施し、中国に送り返す」水面下で繰り広げられる米中“情報戦争”

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