3期目に入る“皇帝”の実像とは――。北海道大学大学院教授・城山英巳氏による「習近平の仮面を剥ぐ 愛憎渦巻くファミリーの歴史」(「文藝春秋」2022年11月号)を一部転載します。
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その巨体に「中国共産党史」が染み込んでいる
今ではにわかに信じがたいが、習近平(しゅうきんぺい)が中国共産党総書記に選ばれた2012年秋、中国は民主化に向かうという期待でみなぎっていた。
根拠は、父親が政治改革に熱心で、改革派知識人の間から高い評価を得ていた習仲勲(しゅうちゆうくん)元副総理(1913~2002年)だったという一点に尽きた。仲勲は毛沢東(もうたくとう)の発動した文化大革命期(1966~76年)も含めて政治的迫害を受け、16年間も軟禁、投獄された。習近平少年も文革で「黒帮(反動分子)の子弟」として拘束され、15歳で下放した農村で「地獄」を味わった。
2012年当時、北京で取材していた筆者は、「習近平は父親を真似る」という声をたくさん聞いた。しかしこうした楽観論を私に語った改革派知識人の何人かは、翌13年から始まる言論弾圧の嵐の中で、投獄されたり、中国を捨て米国に亡命したりした。今でも多くの改革派の言論は封じ込められたままだ。
私はこの10年間、ずっと次のことを考えてきた。
「習近平はなぜ開明的な父親でなく、毛沢東を真似る政治を行うのか」「文革時代に逆戻りさせるのか」
若い頃から政治実績がないにもかかわらず、党内で尊敬を集める改革派の父の「威光」と「コネ」だけで出世し続け、トップに上り詰めると一転、父親を「反面教師」としているかのようだ。国内を豊かにし、対外的に強硬に振る舞い、ナショナリズムを高めれば、異論を許さない文革のような毛沢東政治のままでも、絶対多数の民衆の支持を得られると自信を深めている。
一体、習近平の本心はどこにあるのか。革命、建国、文革、改革開放――。彼は家族を通じて「中国共産党史」がその巨体に染み込んでいる。ファミリーヒストリーを追い、「習近平中国」の終着点を考える。
「紅い血」を引き継ぐ男
習近平が共産党トップの座を手中に収めたのは、今から15年前の2007年10月に開かれた第17回党大会。開幕直前、元高官を親族に持つ共産党関係者が、「(共産党の)紅い血やDNAを引き継ぐ人が必要だ、という声が党内で急に高まっている」と語ったのを覚えている。