今年11月に日本警視庁が発表した北朝鮮スパイ事件は、金正恩体制の工作機関である偵察総局のベテラン要員が背後にいるという点で韓国側も警戒心を高めている。表から見れば、韓国国籍の60代男性と70代女性が、東京の事業所を通じて稼いだ金を北朝鮮に持ち出した事件だが、さらに深く掘り下げていけば、日本の対北朝鮮監視網に穴のあいたことが明らかになるのだ――。

金正日総書記死去から10年  2010年10月、北朝鮮の朝鮮労働党創建65周年を記念する軍事パレードを観閲した金正日総書記(左)と金正恩氏(右)=平壌(共同)

事件の総責任者は北朝鮮工作員リ・ホナム氏

 日本警視庁によると、問題の男女は、2016年末、東京都内のマンションに韓国産栄養飲料を輸入して販売するとして貿易会社を立ち上げた。疑わしい情況をつかんだ警視庁公安部は2021年秋、彼らが北朝鮮がかかわる「スパイ事件」に関与していたと認定。

 短期滞在資格では設立できない会社を設立しており、不正な書類が使われたためだ。調査の結果、この男女は北朝鮮と水産物取引をし、北朝鮮とロシアの国境地域に液化石油ガス(LPG)ターミナルを建設する計画にも関与したという。

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 この事件で注目すべき点は、この男女を背後で操った人物の正体だ。警視庁の調査の結果、主に北京など中国を舞台に活動してきた北朝鮮工作員のリ・ホナム氏が、事実上の「総責任者」であることが明らかになった。リ氏は、自分が取り込んだ韓国国籍の男女に具体的な工作内容を指示し、事業で得た金を北朝鮮に渡したという。

韓国映画『工作 黒金星と呼ばれた男』登場人物のモデル

 しかし、日本当局は、リ・ホナム氏への捜査拡大に限界を感じたようだ。彼が第3者を経て工作を指示する手法を使ったうえ、北朝鮮国籍で海外に滞在している状態なので、日本当局の司法的権限が届きにくいためとみられる。

 一方で、韓国の対北朝鮮情報当局は、リ・ホナム氏を「非常に危険な人物」として把握している。リ・ホナム氏は2018年に公開された韓国映画『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』の登場人物のモデルにもなっている。映画のあらすじはこうだ。

映画『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』

 核兵器開発を続ける北朝鮮を警戒した韓国軍が、情報部隊の国家安全企画部のチェ・ハクソン室長に北朝鮮への潜入を命じる。チェ・ハクソンにつけられた暗号名は「黒金星」。チェ・ハクソンはビジネスマンに扮して北朝鮮の高官らと接触し、核兵器開発の実態へと迫っていく。