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《コロナ禍の北朝鮮》脱北者が証言する実態「布団から南京虫がブワーッ」「誰も帰らぬ完全統制区域へ粛清も」

 日本と国交もなく、情報がほとんど入ってこない北朝鮮。9月には相次いでミサイルの発射実験を行い、日本との関係はもちろん、国連の安全保障理事会が緊急会合を開くなど国際的に緊張感が高まっている。10月19日午前にも北朝鮮から発射された弾道ミサイル2発が日本海に落下した。

 そんななか、10月22日に北朝鮮国内の人権状況を調査している国連の特別報告者が記者会見で、北朝鮮で食糧が不足し、子供や高齢者が飢餓に陥るおそれがあると指摘した。北朝鮮では新型コロナウイルス対策で国境を封鎖したことで、申告な物資不足に陥っているとみられている。

 こうした北朝鮮の事情を知る上で、貴重な情報を持つのが、現地で生活しており、現在の日本に約200人いるという「脱北者」だ。

「いま、北朝鮮は新型コロナウイルス対策といって陸海空を封鎖していますが、私がいた“一番ひどい頃”と同じような状況になっているのを国際社会に隠したいだけではないのでしょうか。残してきた家族が、心配でたまりません」

 10月某日、東京都内で文春オンラインの取材に応じた脱北者・川崎栄子さん(79)は、そう述懐した。川崎さんは戦後しばらくして北朝鮮へと渡り、約40年間にわたって厳しい生活を送り、その後脱北した。

取材に応じた川崎さん ©文藝春秋

 川崎さんと同様に北朝鮮へ渡った男女5人が、いま北朝鮮政府に5億円の損害賠償を求め訴訟を起こしている。10月14日には東京地裁で第1回口頭弁論が開かれ、川崎さんも法廷に立った。

「個人が特定される危険があるので、具体的なことは言えないこともある」

 そう語る川崎さんだが、語られたその半生は壮絶だった――。(全3回の1回目/#2#3を読む)

京都生まれでルーツは韓国にある川崎さん

 1942年、川崎さんは在日コリアン1世の両親の元、京都で生まれたという。

「父は韓国から日本へ一人で出稼ぎに来ました。最初は大阪のガラス工場で働いていたようですが、後に多くの在日コリアンと同じように土木業に携わっていました。そして同じく韓国出身の母と出会い、私が生まれたんです。ですから北朝鮮には私のルーツはありません」

 その後、公立の小中学校を経て、高校は朝鮮学校に進んだ。

「戦後しばらく日本の経済状況は良くなくて、在日コリアンが邪魔になっていたんですよね。ただでさえ仕事が少ないのに、日本人の仕事を“奪う”存在だった。そんな中、朝鮮戦争後の北朝鮮は、復興のために労働力を必要としていました」

 当時、北朝鮮は“地上の楽園”であると喧伝され、1959年頃から在日朝鮮人やその家族を北朝鮮へと呼び戻す「帰還事業」が始まった。