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《コロナ禍の北朝鮮》脱北者が証言する実態「布団から南京虫がブワーッ」「誰も帰らぬ完全統制区域へ粛清も」

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「帰国者は最低身分。粛清されれば鉱山や炭鉱へ」

 過酷な生活環境である上、日本からの帰国者はさらに身分差別にも苦しまされたそうだ。

「『成分』と呼ばれる身分制度が北朝鮮にはあるのですが、帰国者はそれが下の方なんです。常にスパイ容疑をかけられていました。だから結婚でも苦労しました。

 大学を卒業した後、機械工場の設計室で働いていたのですが、そこで働いていた別の事務所の地元の人と結婚しました。しかし姑がものすごく反対した。帰国者と結婚すると、その人も同じ身分の扱いになるので出世できなくなるんです。北朝鮮で出世できなくなると生活は厳しくなる。配給だけでは足りないから、みんな賄賂とかをもらってそれで闇市で肉とか魚を買うしかない。姑のいびりは、ずっと続きました」

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 そして北朝鮮での生活で最も危険なのが「粛清」だ。

「保衛部というところがあります。警察の一部署だったのが、70年代に入ってから分離されて、警察の上に君臨するようになった。本当にささいなことでも、政府への不満を言うと首につながってしまう(命を落とす危険がある)。その後に処刑されてしまうケースもありますが、強制労働をさせられることが大半です。

 同じ時期にどんどん強制収容所に送られるようになりました。地元の人も多かったですが、日本人妻の家族はターゲットになりやすかった。収容所は鉱山とか炭鉱にあります。収容所の中には生きて出てきた人のいない、完全統制区域もありました」

家族へ「北朝鮮に来るべきではない」と伝えたいのに…

 川崎さんには1年後に北朝鮮で合流することになっていた家族がいたが、なんとしてでも阻止したかった。「(当時小学校4年生の)弟が結婚したらお嫁さんと一緒に会いましょう」などと、北朝鮮に来るべきではないと暗に伝える手紙を送ったところ、川崎さんの意図が伝わり、両親や弟ら家族は北朝鮮に来ることはなかったという。

 現地で出会った夫と家庭を持ち5人の子供が生まれ、生活は苦しいながらも、日本からの仕送りの服などを闇市で売るなどしてなんとか生活を続けた川崎さん。しかし、1994年から2000年頃まで続く“最悪の時代”が訪れる。

中国との国境にあたる鴨緑江沿いの街、新義州 ©️getty

「金正恩は、今年4月にコロナ禍の北朝鮮に対して『苦難の行軍』という言葉を使いました。これは大食糧難だった最悪の時代にも使われた言葉なんです。今の北朝鮮はあのときと同じような状況になってしまっているのではないか……。餓死者が出ているという報告もあり、心配で仕方がありません」

 川崎さんから語られた“最悪の時代”の体験は、筆舌に尽くしがたい壮絶なものだった。

#2に続く

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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