そういえば細い路地にぽつんと石碑が…
大津駅や滋賀県庁と琵琶湖畔の間には、東西に旧東海道も通っている。地名でいうと“京町”といい、細い路地で昔ながらの木造家屋も並んでいる。その古い道を歩いていると、「此附近露國皇太子遭難之地」と書かれた小さな石碑があった。
ロシアの皇太子が遭難とは、1891年(つまりいまのびわ湖浜大津駅の場所に貨物専用の初代大津駅があった頃)の大津事件のことだ。
来日中だったロシア皇太子ニコライが滋賀県警巡査の津田三蔵に切りつけられた。一命は取り留めたが国際問題に発展し、何人もの大臣のクビが飛んでいる。ちなみにこの皇太子ニコライはのちにロシア皇帝ニコライ2世となり、ロシア革命で銃殺された。いずれにしても、大津の町の静かな旧街道の道で、かつてそんな大事件があったのだ。
この旧東海道を西に向かって歩いて行くと、京阪京津線が通る大通りにぶつかる。この道が、事実上現在では大津の町の背骨のような役割を果たしているといっていい。
東海道はこの電車道を左に折れて、逢坂山を越えて京都を目指した。左に折れずにまっすぐ行けば北国街道。交差地点は札の辻と呼ばれ、大津ではいちばんの賑わいがあった場所だという。大津の宿場の本陣は、そこからすこし南にある。
京阪京津線は、京都の市営地下鉄東西線と直通運転をしている。だから見た目は普通の電車だが、なんと驚くべきことに、大津市内ではそのまま路上を走る。路上を走る路面電車といったら1両や、せいぜい数両程度の短い車両が定番。それが大津では普通の電車が道路の真ん中を走っている。見慣れていないとなんとも違和感たっぷりなシーンだが、この場面もまた、大津にとっては“名物”のひとつなのかもしれない。
写真=鼠入昌史
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