文春オンライン

連載大正事件史

「いろいろお世話になっております。私は例のピストル強盗ですが…」警視庁に届いた手紙と“日本初の劇場型犯罪”を起こした男

「いろいろお世話になっております。私は例のピストル強盗ですが…」警視庁に届いた手紙と“日本初の劇場型犯罪”を起こした男

「ピス健」事件#2

2022/12/18
note

「なまめかしい美人 それが『彼』であった」?

 大朝には「なまめかしい美人 それが『彼』であつた 星の家主人語る」という別項記事がある。

 11日午後11時半ごろ、居眠りをしていた(店の)若い者が、ハイカラな美人が私を訪ねてきたと告げたので、ハテ誰かしらんと会ってみると、ハイカラの大まげを結って金縁の眼鏡をかけ、天鵞絨(ビロード)のコートに天鵞絨の肩掛けをし、黒繻子の帯を締めたなまめかしい美人が私の顔をじろっと見たのです。ハテと思った瞬間、性次郎であることを直感しました。なぜかというと、私は子どもの時分から顔をよく見知っていたからであって、彼が私を訪問したのは、生前に一度でも私と会って気持ちよく別れたかったためでしょう。それから私は彼を離れの座敷に導いて一夜の宿を貸すことにしたのです。刑事の方たちが乗り込んできたのはそれから2時間半たたない後だったかと思います。

 連行時など、ピス健の女装の写真は何枚か残っているが、光石亜由美「女装と犯罪とモダニズム」=「日本文学」2009年11月号所収=は次のように言い切っている。

「写真という視覚的画面に焼き付けられることによって、女を装っていても、どうしても男性という実体があからさまに浮き上がってくる。明らかに作り物だと分かるかつらや、不自然に全身を覆うコート姿は、逮捕後の写真ということを割り引いても、周到な女装をして警察の目をくらませたという逃亡劇を想像した目から見れば、あまりにも粗末な変装に見える」

ADVERTISEMENT

 新聞からすれば、そうしなければ面白くなかったのだろう。当時でも、12月19日発行20日付大毎夕刊の連載企画「兇賊になるまで(6)」のように「捕らわれた時の女装など、到底節分の夜に出るお化けほども化けおおせぬチャチなものであった」と書いた記事もあったが。芝居小屋で習い覚えた女装はその程度のものだったのだろうか。

逮捕時のピス健の写真。右の大阪毎日が真正で、左の國民新聞はかつらを付け加えたとみられる

逮捕のきっかけは「タレコミ」

 大朝の記事には逮捕場所は「小料理屋」とあるが、同じ日付の東日は「チャブ屋」と書いている。チャブ屋とは明治から昭和戦前にかけて、外国人の船員や在日外国人を相手にした「あいまい宿」のこと。「兵庫県警察史明治・大正編」(1972年)は「密買淫宿」としているが、店には女性がいて売春もしたが、食事やダンス、ビリヤードなどが目的の客もいた。横浜が発祥とされるが、神戸や函館などの港町にもあったという。この方が舞台としてふさわしい気がする。

ピス健と逮捕現場(大阪毎日)

「斷獄實録」によれば、逮捕のきっかけは“垂れ込み”(密告)だった。11日午後10時半、湊川署の刑事室に男性が駆け込み、「大西が知人の家に来ている」と告げた。この男性はピス健と妻の離婚話を進めていた。刑事らが知人の家に駆け付けると「いま出て行った」と言う。