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「9年間は赤字、10年目でも年収60万」彼女にもフラれ…それでも但馬で「牛飼い」になった“異色和牛農家”の超奮闘

『稀食満面 そこにしかない「食の可能性」を巡る旅』より #1

2022/12/29
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「引くに引けなくなって」牛飼いの修業へ

 まずは、ほとんどの読者が知らないであろう肉牛の業界について簡単に説明しよう。

 肉牛を扱う畜産業界は分業制。繁殖農家が母牛に種付けをして、産まれた子牛を生後6カ月~12カ月まで育てる。その子牛を買い付けるのが、肥育農家。十分に太らせて、生後2年半から3年ぐらいになると、市場で売りに出す。購入するのは肉屋さんで、牛をさばいて精肉として販売する。

 このうちの繁殖農家が田中さんの仕事だけど、別の顔も持っている。

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 牛の爪を切る削蹄師であり、先述したように自社のオンラインショップで精肉の販売も手掛ける。

 繁殖農家で削蹄師、そしてお肉の販売も手掛けているのは、全国でも田中さんひとりだ。実は本書のなかで、田中さんだけは編集者のNさんから「取材してみませんか?」と声をかけられた仕事だ。稀人ハンターは発掘力が強みなのでこちらから編集部に提案することがほとんどなのだけれど、近年、クライアントから田中さんのように「日本唯一」あるいは「非常に稀」な人の取材をしないかと声を掛けられることも増えている。僕はとにかく日本中の稀人に会ってみたいと思っているから、そういうオファーも大歓迎だ。

 それでは、駆け出しの頃は「ずいぶんと叩かれた」という異端児の若かりし頃を振り返ろう。

 田中さんは1978年、兵庫県三田市で生まれた。高校3年生になり、進路を考える時期に「動物園の飼育員になりたい」と思い立った。子どもの頃から虫や動物といった生き物が好きで、動物とかかわる仕事に憧れてのことだった。

 ところが、飼育員に話を聞きに行ったら「倍率がすごく高いし、君には無理だと思う」と身も蓋もないことを言われてしまう。その時にたまたま、タレントの田中義剛さんが北海道に花畑牧場を作るという内容のテレビ番組を観て、「畜産も動物に関わる仕事だ」と気づき、北海道酪農学園大学に入学した。

 大学では、肉牛研究会に所属。この研究会では、自分たちで牛舎を設計してDIYで建て、種付け、出産介助、飼育、排泄物からのたい肥づくり、精肉した後のお肉の販売まで行っていた。このサークルで、畜産の仕事の面白さに気づく。

「牛という生き物を飼うだけじゃなくて、牛を取り巻く過程というか、産業としての魅力に気がついて。世界がすごく広がりましたね」

 18歳のまっさらな状態から肉牛にまつわる仕事をひと通り学んだ、濃密な4年間。

 その後、大学院に進学した田中さんだったが、わずか1カ月で休学届を出し、和牛繁殖農家で1年間住み込みの研修に出ることにした。「牛飼いになりたい」という思いが募った……わけではない。