1ページ目から読む
3/3ページ目

食事を「食べごと」と読む

 食事を辞書でひくと、「生命を維持するために毎日習慣的に飯などを食べること、またそのたべもの」とあります。食事とは、料理して食べることですから、こればかりは、辞書が間違っていると私は思います。

 食事を「食べごと」と読めば、食事に関わるすべてのこと、買い物、料理すること、食べること、洗い物、片付け、掃除、全てが食事であるとも言えるのです。これの繰り返しが暮らしです。

 辞書にある食事に「料理する」が書かれていないのは、なぜかを考えると、男社会は女性の仕事を無視しているためです。家の仕事は価値のないものと考えているからです。

ADVERTISEMENT

土井善晴氏 ©文藝春秋

 それは意図したものでなく、編纂した男性が無意識のうちにしたことだと思います。「人間は何を食べてきたか」という本を、何人もの哲学者や歴史学者が書いています。NHKの番組にも同じタイトルのアーカイブがあります。人間は何を食べてきたのかという問いは、グローバル化や、食材を奪い合う戦争という男の権力争いの歴史です。しかし、「人間が、どんな思いで料理をしてきたか」を書いた学術書はありません。そんな家族を思う女性の思いなんて考えたこともないのです。

 それはなにも日本だけの問題ではなくて、西洋ではギリシャ時代から、料理は召使いや奴隷がするものとしていたようです。戦争から戻った強い男は料理などしない、凱旋する空腹の彼らを料理が迎えたのです。狩猟民族である西洋では、獲物を殺して、家に持ち帰り、肉を分け与えることで家族は料理して暮らしを守っていたのです。

 一方、採取、漁労、農耕ができた東アジアの孤島では村の年寄りと女性だけで子を育て、男がいなくとも生活できたところに、西洋とは違う男女の関係があるように思います。

 時代は進み女性が社会で働くようになったとき、家庭料理はおろそかにされるようになりました。というよりも、家の仕事をしっかりやれる手も、時間もなくなるのです。そうなると食品産業の業績を一気に押し上げ、外食・中食(なかしょく)・加工食品という商品が大量に出回ります。

切羽詰まった女性の声

 料理をしようと思えば、食材を求めて自然を見ます。ひるがえり家族の方を見て、手を動かしながら(料理して)家族を思って少し工夫するのです。料理する人は自然と人間の間にいて、自然を守り、家族を守っているのです。料理する人が自然と人間の関係のバランスをとっているのです。今ではなかなか自然に対しては、そんなふうに見られる人は、少ないかもしれません。そもそも人間は自然の一部、田畑は自分の未来であることを忘れているのです。

 私が『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫)を書いたきっかけは、「土井善晴の大人の食育」といった勉強会(2015年)で、若い女性、結婚を控えたカップルや、子供をもった女性が、大勢来てくれたとき、彼女たちから、「幸せな家庭を持ちたいけれど、料理ができない、料理した事がない」「子供を手料理で育てたいと思うけれど、どうすればいいか分からない」という切羽詰まった声を聞いたからでした。

 それまで私は彼女たちの苦しみ、悩みを理解していなかったので本当に驚きました。私は日常の料理をたいそうに考えていませんでしたから、ごく当たり前に「ご飯を炊いて具沢山の味噌汁を作ればいい」と話したのです。一汁一菜でまずはオッケー、一汁一菜は手抜きでないと、ごく当たり前にしてきたことを彼女たちに話したのです。彼女たちみんなが喜んで安心したようでした。

 一汁一菜は何も新しいことではなく、昔から日本の生活にあった食事スタイルです。実際に我が家でも忙しい日はそうしていたし、料理屋の3食の食事もすべて一汁一菜が基本でした。ちゃんこ鍋とは味噌汁のことですから、相撲部屋も一汁一菜が基本です。世界に誇る日本の懐石料理も、一汁一菜からはじまります。一汁一菜というスタイルを基本にして考え、日々の暮らしの中で変化させていけばよいのです。

 どんな民族にも、何を作ろうなんて考えなくても、簡単に作れて、飽きることなく毎日食べられる食があるのです。フランスなら、温かい野菜スープに、パンとチーズがあれば食事になるでしょう。

 それ以上の料理は、時間があるとき、心に余裕があるとき、お金があるときに、食べたいもの、食べさせたいものを作ればいいのです。味噌汁を作るだけなら、10分もしないうちに温かいものが食べられます。それ以上のことは、やらされるのではなく、自分の意思でやることです。そうすれば料理は楽しみになる、できるのです。メインディッシュの作り方なんて後回しでいいのです。

料理研究家・土井善晴氏による「和食文化を救う一汁一菜」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

この記事の全文は「文藝春秋 電子版」で購読できます
和食文化を救う一汁一菜