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「“300人乱交写真集”制作に数千万円注ぎ込むなんて、アンタ狂ってる!」…鬼才・大橋仁(50)は、ナゼ自腹を切ってまで作り続けるのか?

「“300人乱交写真集”制作に数千万円注ぎ込むなんて、アンタ狂ってる!」…鬼才・大橋仁(50)は、ナゼ自腹を切ってまで作り続けるのか?

2023/08/03
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 それどころか観続けていると、さまざまな事物が次々と視界に入ってくることに、快感を覚えるようになってくる。バラバラに思えた一つひとつの被写体が、じつは強固なつながりを持っているのも感じられる。

大橋が撮り続けてきたこと、それは……

「そう、自分が撮りためていたのは、『命の記憶』とでも言うべきものを自分の奥底から呼び覚ます被写体ばかりだったんです。全ての撮影行為は何気ないものであっても動機が存在しますが、その根拠が自分の中ではっきりしていなかったんです。不思議なのですが、パンティや、昆虫を撮影しているときも、かなり長い時間、ページ構成を繰り返して、一冊の本になってもまだ、何か大きなものに衝き動かされてやっているのは確かなのですが、その衝動の正体ははっきり見えなかった。

 こうして本ができて、自分でも繰り返し眺めたりするうちに、やっと、自分のして来たことが理解できた瞬間がやって来たんです。これまで見えなかったのは、相手が大きすぎたからなのかもしれません。死に直面したおふくろさんの姿をきっかけにして、私はここ数年、自分の奥底に繋がっている『命の記憶』をひたすらかき集め、手繰り寄せる行為をずっとしてきたんだなと気づいたんですよね。『命の記憶』、この言葉によって今作の判然としなかった部分が一直線につながったんです」

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 今回リリースされた『はじめて あった』は、大橋仁にとって4作目の写真集だ。

 過去の3冊がどんなものだったかといえば、家族の自殺未遂の顛末をみずからのカメラで写真に収めたのがデビュー作『目のまえのつづき』。2作目は、綺麗事では済まないリアルな血塗れの出産シーンを10組分も撮った『いま』。そして3作目は、男女それぞれ150人、合わせて300人が素っ裸でひとつところに集まり、一斉に性行為に勤しむ様子を写しまくった『そこにすわろうとおもう』。

 扱う題材は毎回バラバラながら、どの写真集もいずれ劣らぬ過激さを持っている。ただ心地いい世界が広がるような作品では決してなく、ページを開いたが最後、観る側の心は激しく掻き乱されて、無傷で本を閉じることはできない。

 つくる側の大橋としては、自分の直感に端を発し、心から「見たい」と欲したものを見るために、徹底的に手間暇をかける。身を削るようにして、そんなやり方を貫いてきた。

『いま』より

「まあそんなカッコいいことでもないんですけどね。10代のころに写真と出逢い、生活の中で起こること、感じたことに、体の反応で撮る。それをいまだに実践しようと試みているだけという感じです。それに、自分がいったん思ってしまったこと、見たこと、考えたことは消せませんからね。それを何とかカタチにしようと模索し続けるのは『業』のようなものかもしれない。周りの反応や今後の身の振り方を考えて、これは撮るのやめとこうかな……なんて躊躇していたら、自分の中にあるいちばん大事な何かを自分の手でもみ消してしまいそうだから絶対しません。

 まだ4冊しか本を出していませんが、本を出すたび『終わったな……』といったん気持ちが落ちるんです。どの写真集も、激しい部分がある本ばかりなので、自分の精神的にはそれぞれの作品内容に関して一切の曇りはないものの、そんな物を出版すれば自分のキャリアは終わるだろうと思うからです。正直、今までノリノリで出したいと思って出した本はない。でも、自分が思ったこと、見たこと、考えたことは消せないんです。それらをなかったこととして、誰にも見せず自分の中に抱えこんで生きていくほうがよっぽど自分を壊してしまいそうで、到底できないことでした。

 なのでしかたなくというか、ある程度の覚悟をして出してきたというのが本音です。でも、ものをつくるっていうのは根本的に己の暴露だと思っていますから、もうしょうがないとあきらめてます」