稀代の浮世絵師・葛飾北斎はとにかく多作多才な人物で、百人一首かるたづくりまで手がけていた。
その実物や、霊峰・富士を描いたおなじみ「冨嶽三十六景」シリーズなど、年の初めのめでたい気分に浸れる作品ぞろいの展覧会が、東京墨田区のすみだ北斎美術館で開催中。「北斎かける百人一首」展だ。
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美女がカルタに興じる姿を活写
百人一首は、鎌倉時代初期に藤原定家が選定した百の歌を原形とする。それが江戸時代中期に一般教養として浸透し、さらにはポルトガル伝来の「カルタ」と結びついたことでいっそう親しまれる存在となった。
江戸時代後期の世に生き、アイデア豊富な浮世絵師として名を馳せた葛飾北斎が、この流行を見逃すはずもない。当然のごとく画題に取り入れ、1823年には《美人カルタ》なる摺物作品を仕上げている。6人の美女が夢中で百人一首かるたの札を取り合うさまを描いており、その艶やかかつ動的な表現が観る者の心を浮き立たせてくれる。
さらに1835年前後には、「百人一首乳母かゑとき」シリーズを手がけた。百人一首それぞれの歌意を、子どもにもわかるような絵解きで説明したものだ。
創意や遊びごころが試されるこうした企画モノをやらせると、北斎は抜群にうまい。
たとえば「小野の小町」はこうだ。百人一首に採用されている歌は、広く知られるこちらのもの。
花のいろはうつりにけりないたつらにわか身よにふるなかめせしまに
降り続く長雨のあいだに、また、もの思いに耽って過ごしているうちに、花の美しさも我が美貌もすっかり色褪せてしまったものよ、といった意味である。
北斎がこの歌を絵にすると、春の農村の光景となる。画面の真ん中にドンと桜の樹。その下にはひとりの老女が立ち尽くしている。品のある後ろ姿から察するに、歌い手の小町本人をなぞらえているのかもしれない。
いまは満開だが儚く散る運命にある桜の花と、平凡な日常を過ごすうち年老いた女性を、同根のものと描いたのだろうか。