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「スケボーするほど視力が落ちる」「だんだんとクラスの輪に入れなくなり孤立して…」高校生で全盲になったスケーター(23)が、それでもスケボーを続けた理由

ブラインドスケーター大内龍成さんインタビュー#1

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次第に友達との会話に入れなくなり、クラスで孤立してしまう

ーーしかし中学校3年間で視野が急激に狭くなってしまったと。

大内 そうですね。クラスの友達が、「あの映画見た? 面白かったよね」って盛り上がっている輪にだんだんと入れなくなっていて。「俺もその映画見たけど、ほとんど映像が見えなかったな」って。もちろん見えていることにして無理やり話を合わせることもできたけど、なんかそれはしたくなくて。だんだんと孤立していきましたね。

 

自転車を漕いでいたら目の前のポールに気づかず激突

ーー徐々に視野が狭くなることで生活に支障をきたすことはありましたか。

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大内 テレビや映画が見づらいというのもありましたし、教科書や黒板が見えづらいのもありました。でも何より怖かったのは学校帰りに自転車を漕いでた際に、目の前にあるポールに気づかず衝突してしまい、頭から落ちてしまったことです。

 しばらく気絶して気づいたら母親が病院に連れて行くところでした。幸い鎖骨を折るくらいで済んだんですが、その時は死ぬかもしれないと怖くなりましたね。その頃から親も極力外出をさせないようにしたり、僕が公園で遊んでいても木の陰から見守っていたりと、以前より心配するようになりました。

 

スケボーを始めるきっかけとなった友達の出会い

ーースケートボードと出会ったのはその後でしょうか。

大内 そうです。中学校3年生の時に、1人でゲームセンターで遊んでいたら知らない中学生から「一緒に俺んちで遊ぶか?」って声をかけられたんです。なんだこいつと思いましたが、面白そうだったのでついていったらその子の家にスケボーがあって。「乗ってみる?」と聞かれて、乗ったら「おもしれー!」とすぐにのめり込みました。

 その友達とは今でも仲がいいんですが、俺の病気について一切聞いてこなかったんですよ。それにいろんなスケーターの仲間を紹介してくれて。「こいつ龍成って言うんだけど少し目が悪くて。でも激アツなやつだから仲良くしてな」って。そのフランクな感じがすごく信頼できて。中学には友達と呼べる人がいなかったけど、そいつのおかげで楽しく過ごせていましたね。

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