重度障害者2名が参議院選挙に当選し大きな話題を集めてから8か月余り。今、彼らは何を考え、どこに向かっているのか。れいわ新選組の木村英子参議院議員に、議員と同じ重度脳性麻痺者のライターである私、ダブル手帳(@double_techou)がインタビューした。

 この取材のために新幹線に乗ったところ、駅員や車掌の方々の態度が以前とまるで違った。「車椅子席が狭くてすみません」などと言われたのは生まれて初めてだ。間違いなく、木村議員が委員会でその問題を指摘したことによるものだろう。私も木村議員の影響力をひしひしと感じている障害者の1人だ。(前中後編の#1/#2#3を読む)

木村英子議員

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初登院は「死ぬかと思った」

――初登院の際、メディアが殺到して阿鼻叫喚の騒ぎとなりました。どんな気持ちでしたか?

木村 死ぬかと思いました。すごいですよね。マスコミにあんなに囲まれた経験がなくて。「こんなに死に物狂いで、毎日揉みくちゃにされながら議員をやらなきゃいけないのか」って、ちょっと不安になりました。

 でも、私としては、出馬を決意した時から「どんなことが起きてもやりきろう」という覚悟はしていたところなので。

――国会への出席が重度訪問介護制度の対象外になることが明るみに出て、制度の問題点を多くの人に印象付けましたね。こうした事態は当初から予想していましたか?

木村 はい、制度上「使えない」と書いてあるので、引っかかるんじゃないかなと思っていました。具体的にどんな形で介護を止められるのかまでは想像できませんでしたが。案の定、当選後、「議員活動には介護が使えませんよ」と自治体に言われた。

――木村議員の登院自体が、制度の問題点を提起する手段にもなるという意図はあった?

木村 はい、それはありました。

れいわからの出馬、オファーの経緯

――れいわ新選組の山本太郎代表からのオファーがあり、出馬されました。数多い重度障害者の運動家の中で、特に木村さんに白羽の矢が立った経緯を教えて下さい。

木村 わたしは2015年から重度障害者が地域生活を送ることができるよう、公的介護保障を求める全国公的介護保障要求者組合の書記長を務めているのですが、山本さんに「障害者の現状をお話ししたい」とお願いして、集会に来ていただいたことが知り合ったきっかけです。

新型コロナウイルス感染対策のため、当日はマスク着用でインタビューに答えた木村議員

 その後も組合の交渉に何回か参加してくださったのですが、そこで私が交渉する姿を見て、「交渉できる力を持つ人だ」「議員になれる方だ」と思ったというふうに言っていただきました。

――実は、過去には他党からも出馬のオファーがあったと聞きました。

木村 市議選や都議選へのお誘いは昔ありましたが、当時は政治に参加するのは難しいと思いお断りしました。