1日10時間もの食べ吐き、絶え間ない飲酒、自殺未遂、そして40代で認知症に――20年の間、波状攻撃のごとく妻を襲った悲劇を、夫で新聞記者の永田豊隆さんがルポルタージュとして発表した『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)。過食嘔吐用の食材購入費で破産寸前まで追い込まれ、一時期は医療に頼れないこともあり、永田さん自身も約10年前に適応障害の診断を受けた。

 壮絶な記録に、「耐え抜いたのは夫の“愛の証”」「これは夫婦の愛の物語」といった感想が相次いだというが、永田さん自身は、「別れなかったのは“愛”からではない」と話す。精神疾患を持つ家族の苦悩の日々を聞いた。(前後編の前編/後編を読む)

永田豊隆さん(本人提供)

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妻の体重が30キロ台にまで落ち、緊急入院

――摂食障害を皮切りに、アルコール依存症、認知症と、パートナーの方はさまざまな病気を抱えてきました。現在の状況はいかがですか。

永田豊隆さん(以降、永田) 今は酒を止めて健康を取り戻しまして、端的に、笑顔が多くなりました。

 とはいえ、肝硬変になるほど無茶な酒の飲み方をしていましたから、後遺症もありまして、骨頭が壊死してしまう病気で車椅子生活を送っていました。ただ、それも手術で3箇所ほど人工関節を入れることで、なんとか歩いて生活できるまでになっています。

――すべてのはじまりは20年前、結婚後にわかった摂食障害だったそうですが、発覚の経緯は。

永田 二人暮らしなのに大量のゴミが出るとか、彼女がトイレを使った後に入ると吐瀉の臭いが残っているといったように、今思えば、少しずつ兆候がありました。

 だんだん食べ吐きを隠さなくなってきた頃には40キロ超だった体重が10キロも減り、熱が出てぐったりしている日が多くなって。気がつくと大きな波がもうそこまで来ていたという感じで、そのすぐ後、栄養失調で急遽入院となりました。

――医療にアクセスしたことで、摂食障害の治療につながれたということですか?

永田 いいえ、本人が「絶対に摂食障害のことは知られたくない」と言うので、緊急入院先の主治医にも摂食障害のことを明かすことはできませんでした。

 緊急入院後、精神科病院で専門的な治療にかからなければさらに深刻な事態になりかねないと感じていたので、その件について話そうとすると、「私を鉄格子のついた病院に閉じ込めるのか!」という感じで……。

 あの頃は、その話題を出しただけで彼女の感情がたかぶってしまって、話し合いにならないんです。そういった経緯で、最初の5年は精神科にかかることができませんでした。