だったら、仕事に逃げたり、借金をやりくりしながら食べ吐きさせつつ、いつか精神科医療につながる道を模索しよう、という感じでした。「離婚する決断をしなかった」というより、私には「決断できなかった」んです。
――「新聞記者」という仕事が永田さんにとっての「私の部屋」、逃げ場になっていた?
永田 あの頃の私の依存対象は間違いなく、仕事だったと思います。新聞記者という仕事は10年経験したところで自分の独自性が出てきて、一番仕事が楽しくなってくる時期でもあって。
そんな時に妻の病気がわかったので、彼女のケアもあるんですけど、正直それより「書きたい」欲の方が勝っていた。それも、つらい時期を乗り切れた一つの要素だったかもしれません。
妻が酔い潰れて寝るおかげで余力ができたが…
――その後、今度はパートナーの方がアルコール依存症に罹患します。経緯は?
永田 2008年頃からコンビニで酎ハイなどを買って飲むことが増え始め、居酒屋から千鳥足で帰ってくることもありました。
――その姿を見て永田さんは嫌な予感がしましたか。
永田 それがむしろ逆で、今にして思えば自分の不明を恥じるばかりなんですけど、過食嘔吐と違って酒はすぐ終わるんです。酒好きの人が長い時間をかけてちびちびつまみと一緒にお酒を楽しむような飲み方じゃなくて、強いお酒を一気にあおって、すぐ酔い潰れてしまう。そうすると何時間かは起きてこないから、私自身、余力ができたんです。
でも、それが本当に身体に深刻なダメージを与える行為だったとは、その時にはわかっていませんでした。