1日10時間もの食べ吐き、絶え間ない飲酒、自殺未遂、そして40代で認知症に――20年の間、波状攻撃のごとく妻を襲った悲劇を、夫で新聞記者の永田豊隆さんがルポルタージュとして発表した『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)。過食嘔吐用の食材購入費で破産寸前まで追い込まれ、一時期は医療に頼れないこともあり、永田さん自身も約10年前に適応障害の診断を受けた。

 壮絶な記録に、「耐え抜いたのは夫の“愛の証”」「これは夫婦の愛の物語」といった感想が相次いだというが、永田さん自身は、「別れなかったのは“愛”からではない」と話す。精神疾患を持つ家族の苦悩の日々を聞いた。(前後編の後編/はじめから読む)

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妻の嘔吐物を片付け、シャワーを浴びせる日々

――2002年に摂食障害が判明した後、2008年頃から妻の飲酒癖が悪化していったそうですが、どんな飲み方をしていたのでしょうか。

永田豊隆さん(以降、永田) 最初から意識を飛ばすために飲んでいるとしか思えない飲み方で、カップ酒を一気にあおるんです。あっという間に連続飲酒と言われる、アルコール依存症に特徴的な、酔いが冷めている時間がない状況になりました。

2018年頃に、主治医のアドバイスで永田さんのパートナーがつけていた飲酒の記録(本人提供)

――生活にはどんな影響が出ていましたか。

永田 自分の身の回りのことができなくなっていたので、私が嘔吐物を片付けてシャワーを浴びさせたりしていました。特に、コンタクトを外すのが大変なんです。

 身体の中も徐々に影響が出てきて、食事も取らずに飲み続けるので肝機能障害が進行し、酔って転倒することが増えたために骨折も絶えなくなりました。歯磨きもしっかりできないからか、虫歯も増え、病院をはしごするような生活になっていました。

 特に、断酒するまでの最後の1年はどの病院にもかかることができず、希望が見えない、本当に辛い時期でした。

――病院にかかることができないとは、どういうことでしょう。

永田 精神科病院から、「アルコール依存症は専門性が高い」という理由で依存症専門病院を紹介されましたが、妻が連続飲酒の状態にあったため、依存症の治療プログラムに十分な参加ができなかったんです。また、内科などの一般病院では、「飲める体にして帰すだけになる」として次回から診療を断ると通告されました。

――病院の治療を拒否されることがあるとは。

永田 依存症など精神疾患のある人が一般病院で「治療拒否」に遭うことは、本当によくある話なんです。「ややこしいヤツ連れてきたな」という態度を全身から発散している医療従事者に会うこともありました。