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 一番きつかったのは、妻が連続飲酒で肝機能に異常をきたして命にかかわる状況にあった時、救急搬送先で入院拒否をされたときです。命の危機に瀕している人は当然誰でも助けてもらえる社会だと思っていただけに、目の前が真っ暗になりました。

思うように仕事ができない…そんなときに助けてくれた人

――一方、永田さんが新聞記者であることで、冷静に、一歩引いた目線で物事に対処されているような印象も受けました。

永田 これだけしんどい思いをしないといけないのは妻や自分のせいではなくて、やっぱり社会的に受け皿が少なすぎるのではないか、と考えていました。

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 それは、たとえば介護殺人があった場合、その現場だけ見れば、介護のストレスで憎しみを溜めた家族が事件を起こしてしまった、というだけで終わってしまいますが、背景を社会に広げて見れば、介護制度や社会保障の使いにくさが見えてきたりする。むしろ、そこを追及していくのが私たちの仕事ではないかと思ってやってきたので、そういう目線があるのかもしれません。

――妻の病気によって仕事への向き合い方も変わりましたか。

永田 2000年代後半には貧困問題がクローズアップされていましたが、自分自身も食べ吐きのための食材購入で借金をしていましたから、自分の困難とダブっていました。それまで見えなかった問題も、自分自身が当事者となったことではじめて見えてきたこともある。間違いなく妻は、私のジャーナリストとしての問題意識を高めてくれたと思います。

――一方で、妻のケアが重くなるにつれて、思うように仕事ができないこともあったかと思います。焦りはありましたか。

永田 「こいつのせいで俺のキャリアはめちゃくちゃだ」という思いは当然、ありました。ずっと仕込んでいた重要な取材に行けないこともありました。

 そんな時に味方になってくれたのが、子育て中の記者や、障害のあるお子さんを持つ記者でした。しんどさの中身は違っても共通点は多かったし、時短勤務といった会社の制度の使い方にも詳しかったので、互いに情報交換して、「ミニ社内自助グループ」みたいになっていました。

 逆に、上から目線で「酒なんて無理やり止めさせればいいんだ」みたいなアドバイスをくれる人もいましたが、本当に自分のことを助けてくれた人で、病気について知ったかぶりするような人はいませんでした。