暴力団についての情報は世に広く発信・報道されているが、暴力団員一人ひとりの実像、そして、その家族についての話題はめったに語られることがない。はたして暴力団員を親に持つ子供は一般社会の中でどのように生きているのか……。

 ここでは、子供たちの問題について長年取材してきた作家、石井光太氏の著書『ヤクザ・チルドレン』(大洋図書)の一部を抜粋。複雑な家庭環境で育った女性、ひかりさん(仮名)のエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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覚醒剤中毒の母と暮らす悪夢のような環境

 小学4年に上がる直前、ひかりは1年半ぶりに西成から下田にもどって来て、地元の小学校に編入した。

 下田での生活も、ひかりにはつらいことだらけだった。覚醒剤中毒だった祖父はすでに死去していたが、祖母は極度のアルコール依存症で朝から晩まで焼酎を飲んでいた。家事をまったくしないので食事をつくってもらえず、しょっちゅう八つ当たりで叩かれた。

 近隣住人から注がれる目も冷ややかだった。狭い街だったことから、「あの家はヤクザの家系だ」と言われたり、「覚醒剤中毒の女の子供には近づくな」と囁かれたりした。女の子なのに男の子みたいに振る舞っていることから、素行が悪いと見なされたこともあった。

 さらに悩ましかったのが、学校生活だ。思春期を迎えたこともあって、それまで以上に性の不一致に悩むことが増えており、体育の時間に女子用の水着を着用したくないとか、恋愛話についていけないといった理由で、不登校がちになっていた。

 小学6年の時、刑務所から出所した桃子(編集部注:ひかりの母、仮名)が下田に帰って来た。彼女は一緒に実家で暮らしはじめたが、すぐにまた覚醒剤に手を染めた。異常な言動が目立つようになると、祖母とぶつかることも増え、やがて顔を合わせば罵り合うまでに関係が悪化した。

 毎日の口論に耐えられなくなったのだろう、祖母は1人で実家を出て行った。桃子はそれをいいことに、W会の構成員を連れ込み、昼夜の区別なく覚醒剤をやりはじめた。不登校になっていたひかりには、悪夢のような環境だった。

 ひかりは語る。

「学校にも、家にもいられなかったから、マジでどうしていいかわからなかった。そんな時に運良く出会ったのが、友達の姉ちゃんだった。3歳上で、定時制高校に通ってた。この姉ちゃんは同じような性の悩みを抱えていたことから、すごくかわいがってくれて、しょっちゅう『うちに遊びに来なよ』って誘ってくれた。放っておけなかったんだろうね。特に何かするわけでもなく、ギターの弾き方を教わったり、CDを聴いたりしていただけだったけど、ああいう時間が救いだった」