ヤクザにも家族がおり、なかには子どもを持つ人もいる。当たり前のことではあるが、こうした事実はこれまで大きく取り扱われることは多くなかった。差別、貧困、虐待……。“暴力団の家庭”にはいったいどのような問題が詰まっているのだろうか。
ここでは作家の石井光太氏が、14人の“ヤクザの子ども”に取材を行った『ヤクザ・チルドレン』(大洋図書)の一部を抜粋。実父がヤクザだった男性・辰也さん(仮名)の波乱万丈な半生を振り返る。(全2回の2回目/前編を読む)
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不良世界の序列
小学校の高学年では、辰也は地元のサッカークラブに入って、毎日夢中になって練習に明け暮れていた。足が速く、器用だったこともあって、チームではエースとしてメンバーを引っ張った。ちょうど日韓ワールドカップが開催されていたことあって、将来はプロ選手になって世界に羽ばたくんだと夢見るようになった。
この頃になっても、辰也は月に一度サッカーの練習が終わった後、実父の丈太郎(仮名)と食事に行っていた。以前と異なったのは、年齢が上がり、父親の正体を察するようになったことだ。洋服の袖や襟元から見える刺青、取り巻きの若い衆、派手な金づかい、それらはテレビで見る「ヤクザ」と瓜二つだった。
ある日、辰也は食事の最中に思い切って、その疑問を投げかけた。丈太郎は一言こう返した。
「ああ。そうだ」
疑いが確信へと変わった瞬間だった。
2003年、辰也は地元の公立中学へ進学した。その中学は、市内でも有名な荒れた学校だった。授業中でも髪を染めた不良たちが廊下や校庭にたむろして堂々と煙草を吸い、廊下にはシンナーの入ったビニール袋や空き缶が無造作に捨てられていた。
この中学で、新入生に対して行われていたのが「タイマンの儀式」だ。先輩たちが目立っている生徒を呼び出し、「1年のアタマを決める」という名目で、1対1で喧嘩をさせるのだ。何日もかけて行われ、最後まで勝ち抜いた人間が、その学年のトップとして認められる。
辰也もサッカーでの活躍が災いし、先輩に呼び出され、タイマンの儀式に参加させられた。体の小さかった辰也は運動神経は良くても、喧嘩は苦手だった。タイマンの度にあっという間にねじ伏せられ、序列を下げられていく。
脳裏を過ったのは、このままだとパシリにされるという危機感だった。彼の言葉である。