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2021/12/22

 月に一度食事をするだけだったので、良い面しか見ていなかったことも大きかっただろう。

 中学3年の終わり、そんな辰也の進路を大きく変える出来事が起こる。高校進学を希望し、県立高校1校、私立高校2校を受験したのだが、すべて不合格。やむをえず、定員割れしている定時制高校を受験したが、そこも不合格になり、進学が叶わなくなったのだ。

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 辰也は言う。

「全日制はともかく、定時制まで落とされたのは意外だった。定員割れしている学校だったんで、俺の周りはみんな合格していたし、普通に考えて落ちるわけないじゃん。それなのに、俺だけ不合格だったんだ。

 周りから言われたのは、『おまえの親父がヤクザだからだ』ってことだった。高校側が俺の実の親がヤクザだって知っていて落としたってこと。そうじゃなけりゃ、不合格の説明がつかない。俺はあの時ほど社会を憎んだことはなかった」

 定時制高校側が辰也の血縁関係まで把握していたかは定かではないが、不合格にする何かしらの理由があったのはまちがいないだろう。

父のドラッグを盗む

 中学卒業後、フリーターとなった辰也は丈太郎のところへ行き、今後のことについて相談した。高校の不合格によって社会に対する不信感を膨らませていた彼の頭の片隅には、あわよくば父親に拾ってもらってD会の構成員になり、派手な生活ができればという期待があった。これまでの実父の言葉からもそうなるだろうと予期していた。

 しかし、丈太郎の返事は意外なものだった。

「何でもいいから、仕事に就け。若いうちはフラフラしてないで、社会の厳しさを身をもって学ぶんだ」

 まだヤクザになるには若すぎるということなのだろうか。辰也は「わかりました」と答え、仕事を探すことにした。

 辰也は建設会社に作業員として入社し、各地の現場で働きだした。仕事は重労働だったが、午後5時には終わるため夜は丸々空く。辰也は中学時代の仲間を呼び集め、暴走族を結成することにした。

 不良として名を上げることにしか生きがいを見いだせなかった。

 当時、宇都宮市内でも暴走族は下火になっていたため、新たなチームを立ち上げる必要があった。それをするには、D会の了承を得て、ケツ持ちになってもらわなければならない。辰也が頼ったのが丈太郎だった。

 彼は丈太郎のもとへ行き、頼んだ。

「親父、族をやりたいんです。D会にケツ持ちになってもらえませんか」

 今度は即答した。

「おまえがその気なら、俺の舎弟に面倒みるようにつたえておくよ。ケツ持ち代は払わなくていいようにしてやっから、好きなように暴れろ」