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「不良の中では、序列ってすげえ重要なんだ。グループでも上の立場の人間は好き勝手に威張り散らせるけど、底辺の人間はクズみたいな扱いを受ける。気晴らしに殴られ、金をむしり取られ、万引きをさせられる。タイマンで負けつづけていた時に頭に浮かんだのは、このままだと中学3年間ずっとパシリをやらなければならなくなるって恐怖だった。でも、体が小さいから、腕力じゃ相手に勝てないだろ。そこで自分が生き抜く術を必死になって考えたんだ」

 辰也が思いついたのが、実父の丈太郎の名前を出すことだった。実の父親がD会の構成員だと公言すれば、周りを威圧できる。

 予想は的中した。父親の素性を明らかにしたところ、先輩や同級生たちは辰也を特別視するようになったのだ。だが、それは同時に辰也が不良の世界に自ら飛び込むことを意味していた。

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 案の定、学校の不良たちは辰也を夜遊びに連れ回したし、辰也も断れずに付き合った。次第にサッカーの練習に顔を出さなくなり、学校でも問題児として見なされた。

息子が不良の道に進んだのを喜ぶ父親

 中学1年の2学期になると、辰也は髪を派手に染め、大きなボンタンをはいて堂々と煙草を吸うようになっていた。体が小さかった分、派手に振舞うことで虚勢を張るしかなかった。

 母親の庸子(仮名)は、辰也の振る舞いを快く思っていなかった。辰也が喧嘩で相手を怪我させて呼び出された時は顔を真っ赤にして叱りつけたし、自分の目の届くところで煙草を吸うのを絶対に許さなかった。

 少し前に、庸子は6年ほど同棲したキャバクラの経営者の男性と別れ、自分の稼ぎだけで生活を成り立たせていた。そのぶん、なんとか子供を健全な道に進ませたいという思いがあったのだろう。

 実父の丈太郎は、庸子とは正反対の考え方だった。相変わらず月に一度くらいのペースで食事に行っていたが、彼は息子が不良の道に進んだのを喜び、「将来、おまえを一人前の極道にさせてやるからな」とか「いつでも事務所に遊びに来い」と言った。

 暴対法ができて10年以上が経ったことで、宇都宮市内の暴力団を取り巻く環境は厳しくなっており、さらに2003年には関西を拠点とするV組が北関東に進出して来たことで2カ月に及ぶ大きな抗争が起きていた。

 その間、二次団体の構成員は半分くらいにまで減り、シノギもずいぶん狭められていた。それでも、丈太郎は金と力を蓄えることに成功し、二次団体でそれなりの役職をもらうまでに出世していたため、己の生き方に誇りを持っていたのかもしれない。

 辰也は暴力団に憧れていたわけではなかったが、実父からくり返し誘われたり、金回りの良さを見せつけられたりするにつれ、次第にその道に進むのも一つかもしれないと考えるようになっていった。