少年院での日々は、辰也にとってつらく厳しいものだった。もともと喧嘩が強いわけでもない彼は、入って早々に他の少年たちから目をつけられ、寮や教室でいじめられた。法務教官の目の届かないところで、腹や脇を殴られたり、唾を吐きつけられたりするのだ。トイレ掃除の当番の時に、わざと壁に精液がかけられていたこともあった。
少年院で屈辱的な日々を過ごしながら、辰也はここを出たらやはり暴力団の盃をもらおうと考えた。一般社会で働いたところで夢や希望があるわけじゃない。それなら、実父との関係を活かして裏社会で名を上げた方が得だと思ったのだ。
出院が近づいたある日、宇都宮に暮らす丈太郎に手紙を送った。法務教官にわからないように隠語をつかって、ここを出たらD会の構成員にしてほしいと頼んだのだ。必ずや歓迎してくれるはずだと思っていた。だが、数日後に届いた丈太郎からの手紙には、次のように記されていた。
俺はおまえにその道に進ませるつもりはない。若い時代に多少のヤンチャをするのならいいが、こっちの世界にくることは許さない。おまえは社会の中で正業を持って生きていけ
目を疑ったが、その裏には辰也の知らない暴力団を取り巻く実態があった。数年前の大きな抗争をきっかけに、V組の進出が顕著になっており、これまでのようにD会だけで裏社会の利権を牛耳るのが難しくなっていたのだ。
丈太郎は、息子の前では豪奢に振舞っていたが、今後は先細りするシノギを他組織と奪い合わなければならないことを痛いほどわかっていた。それは必然的に刑務所を行き来する人生が待っていることを示している。そんな世界に、未来のある息子を入れたくなかったのだろう。
暴力団は何一つメリットのない世界になっていた
少年院を出た時、辰也は18歳になっていた。暴走族時代の仲間は誰1人として暴力団の盃を受けておらず、建設業や夜の街で働くか、親の自営業を継いでカタギの身として生きていた。
辰也は出院してすぐに丈太郎のところに行き、何か仕事を斡旋してくれないかと頼んだ。丈太郎が息子に紹介したのは、地元の夜の街でキャバクラを経営している男性だった。
後で知るのだが、この頃の丈太郎はすでにドラッグの密売から手を引き、中古車販売業を営んでいた。D会に籍は残してあるが、裏稼業からはほとんど足を洗っていたのだ。
辰也は言う。
「今じゃ、この街ではヤクザ一本で食っていくのは難しいと思う。宇都宮にはD会、V組の他に、W会の勢力もあって、それぞれドラッグを扱っているから、同じことをやってもそんなに儲からない。逮捕されるリスクしかないんだ。