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 ひかりにとって、性の悩みを理解してくれる人との初めての出会いだった。

突如訪れた死

 中学2年の終わり、突如として想像もしていなかったことが起こる。ある日、アパートで母親の桃子がいきなり真っ黒い血を吐いたのだ。ひかりが駆け寄って救急車を呼ぼうとすると、桃子は止めた。

「呼ばなくていい。寝てれば治るから」

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「ダメだよ。母さん、血を吐いたんだよ」

「呼ぶなって言ってるでしょ! とにかくアクエリアスとオレンジジュースを買って来て。それ飲めば大丈夫だから」

 なぜアクエリアスとオレンジジュースを飲めば大丈夫と言ったのかはわからない。覚醒剤の影響で言動がおかしくなっていたので、大した意味はないのだろう。

 そうこうするうちに、また桃子は吐血した。ひかりは携帯電話を握りしめ、涙声で言った。

「怖いよ! 救急車呼ぼうよ! お願い!」

「呼ぶなって、何度言わせれば気が済むんだ!」

 桃子は激高してひかりを殴りつけると、携帯電話を床に叩きつけて壊してしまった。プラスチックの破片が散らばる。

「早くジュースを買って来いって言ってるだろ!」

 そう叫んだ瞬間、再び大量の血を吐いた。ひかりが肩を貸してトイレへ連れて行こうとするが、歩くことができずに倒れ込んでしまった。ひかりが「病院行こう」と訴える。桃子は声を絞り出すように言った。

「病院へは行かない……。絶対に行かない」

 頑なに病院へ行くことを拒んだのは、覚醒剤の使用を隠すためだったのかもしれない。

 ひかりは仕方なく桃子を寝室へ連れて行き、布団に横たえた。桃子は何も言わなくなり、目を閉じた。ひかりは気が気でなく、何度も様子を見に行った。

 桃子の容態が変わったのは、夕方近くなってからだった。突如として痙攣を起こしはじめたのだ。声をかけても、返事をすることさえできない。ひかりは近所の家に駆け込んで事情を話し、救急車を呼んでもらった。

 数分後、救急車がけたたましくサイレン音を鳴らして到着した。救急隊員は桃子の脈を取ると、慌てて心臓マッサージをはじめた。すでに心拍が停止していたのだ。その間、別の救急隊員があちらこちらの病院へ連絡するが、ことごとく受け入れを拒否された。やむなく、救急車はいったん消防署へもどって再度搬送先を探したところ、直線距離で20キロほど離れた東伊豆町にある病院が受け入れてくれることになった。だが、病院に搬送された時には、すでに心臓も呼吸も止まり、帰らぬ人となっていた。

 霊安室で遺体となった桃子と再会したひかりは、大声で泣きじゃくった。あれだけ暴力を振われ、施設にまで入れられたのに、たった1人の肉親を失ったことが悲しくてならなかった。これで自分は本当の意味で独りぼっちになってしまったのだ。