平日は鍼灸師として、休日はブラインドスケーターとして活動している大内龍成さん(23)。小学校1年生の時に「網膜色素変性症」と診断され、高校2年生で視野の95%を失った。視力を失ってからは白杖を使いスケートボードをするブラインドスケーターとして活動し、SNSで話題に。
2022年5月には、「1分間で目隠しをしてスケートボードでオーリー(前輪を先に浮かせてジャンプする基本のトリック)を行った回数」、「目隠しをしてスケートボードでオーリーを行った連続回数」の2種目でギネス世界記録を樹立した。そんな大内さんに視力を失うまでの経緯、サポートしてくれた家族への思い、スケートボードを続ける理由などについて話を聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
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見えていないという感覚はなかった
ーー今の視力ではどのように見えているのでしょうか。
大内 今、昼なのか、夜なのかがわかる程度です。洋服を選ぶときに目を近づければ何色かはわかります。5%の視野が残っていると言っても実生活ではほとんど役に立たないですね。白杖がなければ外を歩けません。
ーー大内さんは小学校1年生の時に「網膜色素変性症」と診断されました。その経緯を教えてください。
大内 小学校入学の際に受けた健康診断で引っかかり、大きな病院で精密検査して病気が発覚しました。視力はあったものの、視野が狭くなっていたり、色覚障がいのような症状が出ていました。でも、自分の中ではこれが普通だと思っていたので、見えていないという感覚はなかったんです。
ただ、親や幼稚園の先生は少し「あれ?」と思うこともあったみたいで。幼稚園生の頃に母とかくれんぼしていて、母が電気の付いていない部屋の押し入れに隠れたんですが、僕が押し入れを開けても母の存在に気づかなかった時に母は違和感を感じたらしいです。
そのほかにも幼稚園で庭の絵を描いた時に、僕は木の幹を緑に、葉っぱを茶色に染めたんです。そしたら友達に「龍成くんの絵、なんかおかしいよ~」って言われて。「おかしくないよ。見た通りに描いたんだもん。じゃあ先生に聞いてみよう」と聞いたら、先生が「たしかに、色が違うね」と。その時に、みんなの見えている世界と僕の見えている世界は違うのかもしれないと思いました。
ーー精密検査の結果、医師から「網膜色素変性症」と宣告された時のことは覚えていますか。