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両親から継いだ実家を25年放置…松本明子(57)が明かす「実家じまい」失敗の顛末「1000万円以上の維持費を払った」

松本明子さんインタビュー #1

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松本 高松の実家を今後どうするかまでは、家族で話し合っていませんでした。当時はそこまで考えられなかった。私を含めた家族みんなが「まあ誰かが住むんだろう」と思っていました。

 でも、父が亡くなった4年後の2007年、私が41歳のときに母も癌を患って他界するんです。そこでいよいよ、「両親がいなくなった。さて、高松の実家をどうしたものか」という問題が自分の中で浮かんできて。

 ただ、そのときは母が亡くなって間もなかったので気持ちを切り替えられなかったし、家をどうするか考えが定まらなかったですね。

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実家には両親と過ごした思い出も残っていた(写真提供=松本明子さん)

――ご両親を亡くした喪失感もありますよね。 

松本 喪失感もありましたし、母を長年介護していた介護疲れもあった。それに当時は息子が7歳くらいだったので、まだ子育ても大変で。育児と仕事と今の生活の忙しさにかまけて、なかなか実家のことまで考える余裕はなかったです。

総額600万円かけて空き家をリフォームした理由

――ご自身の頭の片隅には、実家をどうしたいというイメージはあったのでしょうか。

松本 もし息子が四国の会社に就職したりして、高松に住むようなことがあるかもしれない、という淡い期待がありました。だからとりあえず、実家は残しておいたほうがいいんじゃないかなと。

 でも月日が経ち、息子が成長していくなかで将来のことを本人に確認したら、 東京で就職したいと言っていて。そうなるとやはり、私が実家をどうにかしなきゃいけないと真剣に考え始めましたね。

 

――その時点で、「実家じまい」をしようという意識は?

松本 なかったです。2011年に東日本大震災があったとき、東京でもあと30年以内に大きな地震が起こるかもしれない、という情報を見聞きして。もしそうなったら、高松の実家に避難してすぐ住めるようにしておかなければいけないと思ったんです。だから震災後にリフォームをしたんですよ。

――当然リフォーム費もかかりますよね。