文春オンライン

あれほど「体育」が嫌いだった僕が、「ひとりで走ること」を人生の最大の楽しみにするようになったワケ

source : 提携メディア

genre : ライフ, ヘルス

note

しかし、自分の足で歩くとき、人間は少し自由になれる。身体が入っていけるところなら、どこをどう移動してもいい。でも、散歩が好きな人はおそらく知っていることだと思うけれど、人間は気がついたらだいたい一定の速さで歩いていることが多い。

「歩く」とき、人間はその道の状態やその場所の気温などによって、移動する速さを決められているのだ。だから、もっと自分の意志で自分の身体を自由に使う気持ちよさを味わいたいなら、「走る」ほうがいい。「走る」とき、人間は完全に自分の身体を、自分の好きなように、好きな速さで扱うことができる。

急いでもいいし、ゆっくりでもいい。法律やレールに、スピードや進むべき道を決められてもいない。人間はひとりで「走る」とき、「自分のことは自分で決める」快感を一番味わえるのだと僕は思う。それはつまり特に目的もなく「走る」ことの自由さだった。

ADVERTISEMENT

これは「みんな」に合わせる運動を強制される「体育」や、「敵」に勝つことを目的にした「競技スポーツ」では味わえないものだ。

宇野 常寛(うの・つねひろ)
評論家、『PLANETS』編集長
1978年生まれ。著書に『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『母性のディストピア』(集英社)、石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』、近著に『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)などがある。立教大学兼任講師。
あれほど「体育」が嫌いだった僕が、「ひとりで走ること」を人生の最大の楽しみにするようになったワケ

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー