文春オンライン

真っ赤な服を着て乳児をおんぶしながら…終戦から6年後、占領下の日本でアメリカ人が撮っていた“意外な写真”とは

『占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色』より #1

note

「このころはこういう赤いビニールの鞄が流行っていて…」

 とはいえ、偶然手に入れた写真にこのような光景を見つけると驚嘆せざるを得ない。彼女らと同世代である筆者の母(1942年生まれ)にこの写真を見せたところ、「このころはこういう赤いビニールの鞄が流行っていて、質が悪いので寒くなるとカチカチになった」という話を聞かせてくれた。

写真3-11 銀座4丁目三越前の晴れ着を着た女性(1946年正月、撮影者不明)

 写真3-11は敗戦翌年、1946年正月の銀座三越前での光景である。空襲で焼野原になった煤けた街を歩く、国民服や軍服の仕立て直しを着た人々の中に、突然鮮やかな色が現れたことの驚きと喜びが、撮影者を駆り立てたであろうことが見てとれる。物資不足の時節柄、着物は戦前に仕立てられた流行遅れのものだったろうが、そのことがむしろ戦争の影のない華やかさを引き立てている。撮影者が路上でたまたま出会った被写体ではあるが、これは「カラーで撮らなければならない意義」と「カラーで撮られたことの意義」の双方を強く感じさせる。

写真3-12 有楽町の日劇前(1946年正月、撮影者不明)

 同じ撮影者により連続して撮影されたと見られる写真3-12は、有楽町の日劇前という多くの人が集まる繁華街にもかかわらず、ほとんどが黒やカーキ色の衣服をまとっている様子がよくわかる。夕日の中に現れた着物の色に撮影者が強い印象を受けたであろうことが容易に推測できる。

ADVERTISEMENT

写真3-13 大津市と琵琶湖を望む(スライド2枚を合成してパノラマ化。1949-52年、ニューハード Newhard家撮影)

 写真3-13は1949年から1952年頃に連続して撮影された二枚の写真を、筆者が合成してパノラマ化したものである。この合成の技術も、現代のわれわれが享受できる特権である。当時は家庭でスライドをこのように一度に二枚並べて映写することはなかったであろう。このようにきれいにつながる写真を、70年も前に撮影した人物に感謝しなければならない。

関連記事