文春オンライン

真っ赤な服を着て乳児をおんぶしながら…終戦から6年後、占領下の日本でアメリカ人が撮っていた“意外な写真”とは

『占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色』より #1

note

当時の写真からわかること

 この写真が含まれていたセットにはメモがまったく付されていなかったものの、同じ撮影者の他の写真から、滋賀県大津市と琵琶湖を写したことが推測された。大津市は大規模な空襲を受けなかったため、戦前の地方都市の雰囲気がうかがえる一枚である。

 画面右から中央にかけて瓦屋根が茶色く変色している家並みが見てとれるが、ここに鉄道が走っていると考えられる。線路沿いでは摩擦によりブレーキや線路・パンタグラフから鉄粉が飛散するため、特に屋根にこのような変化が現れる。大津市内を走る京阪電車京津線の位置を当時の航空写真で確認したところ、左の防空迷彩が残る建物群が大津赤十字病院に該当することがわかり、この病院の裏山から撮影したものだと判明した。

 白黒写真でもこの茶色は濃淡の差として現れうるが、それを手彩色やAIで着色する場合、その差がどのような条件でもたらされるのか事前に知っていなければ、茶色として塗られることはないだろう。撮影者もそのようなことは当然知らなかっただろうが、知らなくともフィルムが感じた色彩を記録することができるカラー写真であるために、われわれは色の違いを見てそこに含まれる意味が何であるかを感じ取ることができる。すなわち、人工的な着色は既存の知識からしか色を配置することができないが、カラー写真を見るわれわれは色から意味を見出すのである。

真っ赤な服を着て乳児をおんぶしながら…終戦から6年後、占領下の日本でアメリカ人が撮っていた“意外な写真”とは

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー

関連記事