70年以上前、占領下の日本において、アメリカ人によって撮影されていた無数のカラー写真が続々と世に出てきている。「敗者」を写したそれらには、いったいどんな人物、風景が焼きつけられているのか。
ここでは、早稲田大学社会科学総合学術院教授の佐藤洋一氏と神戸映画資料館研究員の衣川太一氏が、当時の写真を戦後史の資料として読み解いた『占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色』(岩波新書)の一部を抜粋。アメリカ人の眼差しが浮かび上がる貴重な写真とともに戦後日本のリアルな暮らしを見ていく。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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カラーの何が「リアル」か
白黒でもカラーでも写真であることには変わりはないため、面白い被写体が写っていれば、見る者はそれだけで十分楽しむことができる。そうした経験は一般的なものであろう。さらに踏み込んだ話をしてみたい。
カラーフィルムが白黒と比べて価格が大幅に高く、また珍しかった当初は、色が印象的なものを被写体に選ぶ傾向があった。しかし、色が重要ではない被写体を撮影したい場合に、途中でフィルムを一度抜いて白黒フィルムに入れ替えるのも面倒なことである。多くの人々は、結局そのまま撮影を続けたであろう。価格が下がればなおさらである。このようにして撮影者の「カラーで撮らなければならない意義」はすぐに薄まってゆく。
古いカラー写真を見た者は一様にその「リアル」さに驚くが、リアルというのは、どのようにも受け取れる、曖昧な言葉である。色があることで何がどのようにリアルになるのだろうか。われわれ読み解く者にとっての、「カラーで撮られたことの意義」を考えよう。
写真3-7は、1948年に制作されたマキノ眞三監督の映画『桜御殿』の、奈良公園におけるロケの模様を撮影したものである。ここで注目すべきは、人物に当たっている暖色のライトと白色の太陽光とが一致していないところである。