鮮やかな色に驚く——赤い服の子供たち、着飾る女性たち
ともあれ、着衣の色はカラーでないと知り得ないものの代表として挙げることができる。大人の服、とりわけ男性のものはバリエーションが少なく、現在でもその色は容易に想像可能であるが、女性の服は着る者の趣味に左右されるところが大きい。特に既製服の乏しい時代のものは、着用していた本人や家族から証言を得ない限り、どのような色であったのかを知ることは難しい。また、子供の服はいわば消耗品であり、後世まで残されることがほとんどないため、カラー写真に突然現れる子供服の色に驚かされることがある。
写真3-9は、マウント上のメモによると、1951年に広島の江田島で撮影されたものである。ほぼ全員赤を基調とした服を着ており、特に右端の女の子は上から下まで真っ赤である。どれも既製品ではないと思われるが、当時は赤色の布が入手しやすかったのか、よそゆきではない赤色の普段着を女児が着ている例が、他の地域で撮影された写真でも確認できる。
1952年頃に皇居外苑で撮影された写真3-10では、着飾るというより目いっぱいお洒落をした小学生らしい女子の集団がおさめられている。右端の女の子のグリーンのコートの袖にはアニマル柄があしらわれており、左奥の女の子は首から上しか見えていないものの、連続して撮影された別の写真で、ピンクの裏地を張った水色のコートを着ていることが確認できる。
この写真でも赤い服は認められるが、江田島の例のような消耗品としての子供服ではなく、ファッションを非常に意識したものとなっている。敗戦後間もないとはいえ、中原淳一の『ひまわり』のように少女向けにファッションを紹介する雑誌がすでに刊行されており、お洒落をして出かける小学生がいても不思議ではない。