映画はモノクロの時代だったが…
映画がカラーになってからは、野外では照明も太陽光の色に合わせて撮影せねばならなくなったが、この時代の白黒映画にその必要はなく、白熱灯から発せられるオレンジ色の光をそのまま使うことができた。白黒で見られることを前提として制作された映画を鑑賞するだけでは決してわからない、当時の撮影現場の色を知ることができる一枚であるが、撮影者はそれを意識して撮ったわけでもないだろう。
いっぽう、写真3-8は1952年制作の稲垣浩監督『戦国無頼』の富士山麓でのロケ場面である。おそらくキャンプ富士に関係する米軍人の撮影であろう、車座になった中央右に主演の三船敏郎、左には三國連太郎らしい俳優が写っている。『戦国無頼』も白黒映画であるが、衣装にさまざまな色が使われるのに対し、旗印は青で統一されている。照明とは異なり、色の混在を無視して道具が選ばれていたわけではないことがわかる。
映画と演劇の両方で活躍した古川ロッパは、敗戦後すぐの1945年12月30日の日記に、舞台用の衣装を手配した際の話を、「一景のうちに、衣裳が着いて、二景から着せる。三越に逃げられたので、京都衣裳部の衣裳、色のくすんだものばかり—といふのが映画の衣裳屋だから」(『古川ロッパ昭和日記戦後編』)と記している。この映画の衣装が「くすんだ」ものであった理由が、白黒映画では色を気にしなかったことの現れなのか、映画の「くすんだ」場面にふさわしい、より現実的なものである必要があったことを意味するのかは定かではない。いずれにせよ現代に遺された白黒映像から、レンズの前にあった色を一義的に推測することの難しさを物語っている。