太平洋戦争終結後、占領期の日本に来たアメリカ人は無数のカラー写真を撮影した。70年以上が経ち、続々と世に出てきたそれらには、どのような日本が写っているのか。

 ここでは、当時の写真を戦後史の資料として読み解き、活用・保存の途を探った『占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色』(岩波新書)の一部を抜粋。アメリカ人の視点から見た当時の日本の様子を紹介する。(全3回の2回目/#1#3を読む)

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着物の女性たち

 カラースライドはプライベート写真ではあるが、現状では家族や撮影者自身らしき人物が写ったものが含まれていることは少ない。大多数は風景写真である。日光東照宮や鎌倉の大仏など観光で訪れる土地の写真は必然的に多くなるが、やがて帰ることが決まっている占領軍関係者にとっては、日常生活のうちで見られる光景も観光の延長であったかもしれない。

 そのような光景の中でも決まって写真の題材となるものがある。着物の女性はその筆頭であり、彼らのエキゾチシズムを大いにくすぐるものであった。しばしば“geisha”というキャプションが付けられていることもその発露であろう。芸者と舞妓の区別はおろか、鮮やかな色の着物を着た女性は大抵“geisha”のカテゴリーに入れられている。

 カメラの前に立ってもらうだけでなく、街頭で偶然にすれ違う瞬間にシャッターを切ることもしばしば行われていた。いっぽう着物姿の男性をわざわざ撮影したものは見当たらない。完全に彼らの興味の対象外だったようである。

写真4-1 日光の川治温泉だろうか。柏屋ホテル玄関前の鮮やかな着物を着た女性たち(1949-1952年、ヘンリー・H・ソウレン Henry H. Soulen撮影)

写真4-1は日光の川治温泉と思われる、柏屋ホテルの玄関先での一枚である。

 件のキャプションは付いていないものの、日本髪の女性も見られることから、彼女たちは実際にゲイシャであるかも知れない。