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 マウントには「ゲイシャ・ベイビーさん」というメモがあり、ここでも占領軍人らの「ゲイシャ」概念の幅広さが知れる。1949年に出版された、占領期日本の生活を描いたフランシス・ベーカーの風刺画集『ジープ乗りの日本(Jeeper’s Japan)』では、まさに子守りをしている子供の気を菓子で引いて写真を撮影するアメリカ人の姿が描かれている(図4-2)。

図4-2 子供を撮ろうとするカップルと、その場面を撮ろうとする日本人(『ジープ乗りの日本』より)

物乞いの姿も残されている

 写真には物乞いの姿も多く見られる。物乞いは人通りの多いところにいるためか、これもまたトラブルになりにくい被写体であったのかもしれない。金を与えて優位に立つことも可能な関係性ではあるものの、盗み撮りしたような写真もまた存在する。

写真4-15 数寄屋橋の上の物乞い(1950年頃、撮影者不明)

 写真4-15の、こちらを向いた眼が不安を感じさせる人物は数寄屋橋上というとりわけ目立つ場所が定位置であったらしいことから、異なる時期の複数の撮影者により写真に収められている(図4-3)。

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図4-3 物乞い(1951年6月、撮影者不明)

 写真4-16は新橋―有楽町間のガード下ではないかと見られ、子供を連れた尺八を吹く物乞いという、三要素の合わせ技の被写体である。

写真4-16 子供を抱きながら尺八を吹く物乞いの男性(1949-52年、アンドリュー・ジャクソン Andrew Jackson撮影)

 こちらの人物は近距離から撮影されているにもかかわらずカメラを気にも留めない様子でフレームに収まっており、占領軍人は彼らにとってお得意客だったのかもしれない。

 これらの写真には、撮影者たちが抱いていたステレオタイプを実際に目の当たりにして、それをフィルムに収めることができた快感を見てとることができる。不幸を感じさせるものであっても、それが型どおりであることを確認することで安心と満足を得る、その確認作業がシャッターを押す行為であろう。