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カメラの存在を無視する老人と…

 いっぽう、いまや日常生活に組み込まれたスマートフォンで気軽に撮影できる現在、われわれは子供とはいえ見ず知らずの他人にここまで寄って撮影することは、まずないであろう。当時の非日常的な機械=カメラを構えることにより、他人との距離を詰めることができる側面もあったのではないかとも考えられる。もちろんその他人とは「距離を詰めることができる」とあらかじめ値踏みされた者のことであろうが。

写真4-12 年配の女性と子供たち。背後の落書きに描かれた女の子は着物姿である(和光市付近か。1945-49年、撮影者不明)

 写真4-12も同一人物の手になるもので、子供だけでなく老人も加わっている。老人もまた安心して撮影できる被写体の一つであった。撮影者の氏名は不明であるが、朝霞のキャンプ・ドレイクに駐屯する第一騎兵師団に所属していたと見られ、現在の埼玉県朝霞市や和光市周辺で撮影されたものが数多く含まれている。この写真も和光市で撮影されたと考えられるが、子供たちが普段着として着物を着ており、後ろの落書きに描かれた女の子の服もまた着物である。現在は池袋から電車で十数分の距離であるものの、当時はまだ都会文化から隔たった農村地帯であり、そこに突如大挙して現れた、コダクロームを詰めたカメラを持った占領軍人との対比がこの写真から浮かび上がる。

写真4-13 カメラを無視する老人と若い米兵(1945-49年、撮影者不明)

 写真4-13はPXとなっていた銀座松屋前の路上で撮影されているが、顔のすぐ先でカメラを向けているにもかかわらず、老人は完全に撮影者を無視している。相手は小柄な老人であり、米軍人が大勢集まる場所であるため、撮影者は強気に、このような無礼なふるまいに出られるということがあったのだろうか。意図はしなかったのだろうが、背後に写る葉巻をくわえた、まだあどけなさの残る米兵がこちらに向けた視線と対照的である。

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図4-1 白髭をたくわえた老人を撮影する米軍人たち(1952年頃、撮影者不明、一部をトリミング)

 図4-1に見られるように、髭を生やした東洋の老人というのも好まれるステレオタイプであったらしく、この男性もそのつもりで撮影したのかもしれない。

写真4-14 ハーシーズのチョコレートを持ちカメラにおさまる着物姿の女の子(平安神宮。1951年2月、撮影者不明)

 別の人物が京都の平安神宮で撮影した写真4-14に写る、髪飾りを付け扇子を帯に挿した子供は、手にアメリカ製のハーシーズのチョコレートを持っており、菓子を与えて被写体になってもらうことが行われていた様子をうかがわせる。当然保護者が一緒にいただろうが画面内に写っておらず、実際にはチョコレートは保護者へのエクスキューズだったかもしれない。