太平洋戦争が終結して78年が経とうとするなか、インターネットの発展とともに当時の日本を記録した写真が表に出てくるようになった。占領期の日本に来たアメリカ人はいったいどのような写真を収めていたのか。
ここでは、早稲田大学社会科学総合学術院教授の佐藤洋一氏と神戸映画資料館研究員の衣川太一氏の共著『占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色』(岩波新書)の一部を抜粋。貴重な写真を一挙掲載する。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
◆◆◆
炎に包まれる爆撃機――特異な場所の記録
これら70年以上前に撮影された写真の多くは、撮影の背後にある文脈に関して何らかの「読み」が必要なものであるが、特殊な状況を撮影したものは、その一枚だけを見ても驚いたり楽しんだりできる、分かりやすく面白い写真でもある。撮影者たちは軍人や軍属として日本に来ているため、民間では見られない非日常的なことが彼らの職務そのものであったり、職務上そのような場所や瞬間に立ち会ったりすることがしばしばある。あるいはまた職務を離れていても、珍しい場面に遭遇した際にシャッターを押したくなるのは今も昔も変わらない。しかしながら当時は誰もが常にカメラを持ち歩いているわけでもなく、またすぐさま撮影するわけでもない。
これらアマチュアの撮った写真を数多く見ていて筆者がいい写真だと思ったものは、撮影者の腕前がいいというよりも、撮りたいと思う瞬間が優れている、あるいはその時に撮影する実行力によるのではないかという感を受ける。フィルムは撮影できる枚数が限られておりまたそれなりの値段であったため、実行力は経済力にも因るのかもしれない。
ヘンリー・H・ソウレンは占領ごく初期に軍人として日本に進駐しており、その際に珍しい場面に立ち会っている。ソウレンのスライドには数例を除いてメモが記されていないが、写真4-36、4-38、4-39は、同じ時に撮影された他の写真に写る文字情報や背後に写る山なみの形などから、職務として兵器処分のため熊本県の旧陸軍隈庄飛行場を訪れた際のものと考えられる。