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血で真っ赤に染められた甲板上で鯨を解体する作業員、ベンツに乗った昭和天皇…70年以上前にカラーで撮影されていた“占領下日本の光景”

『占領期カラー写真を読む オキュパイド・ジャパンの色』より #3

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 こちらもマウントは1949-52年のもので、先の抱擁写真と併せて占領期後半の新橋の夜の賑わいを感じさせる写真群となっている。それは新橋の日常であったかもしれないが、同時に祝祭的な非日常感にあふれたものでもあった。

写真4-48 世田谷の新東宝スタジオに作られた映画『暁の脱走』のオープンセット(1950-51年、ヘンリー・H・ソウレン撮影)

映画撮影の現場もフィルムに収められていた

 ソウレンは当初軍政部、のちに民事局の民間報道課(Civil Information Division)に所属し、自治体の広報に関する仕事をしていたとみられる。その業務に関連したものかどうかは不明であるが、世田谷にあった新東宝の撮影所で撮られた写真が数枚含まれている(写真4-48/写真4-50)。

写真4-50 新東宝スタジオ、『石中先生行状記』に出演した俳優の杉葉子(1950-51年、ヘンリー・H・ソウレン撮影)

 1950年公開の谷口千吉監督『暁の脱走』と成瀬巳喜男監督の『石中先生行状記』のオープンセットや、同映画に出演した俳優の杉葉子が写されている。

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 一般的な撮影所見物の枠を超える内容ではないが、撮影所そのものが特別な空間であり、映画を撮り終われば撤収されるセットはさらに非日常的な存在である。『暁の脱走』も『石中先生』も白黒映画であり、カラーで記録された写真は他に存在していないと思われる。

 白黒・カラーを問わず、そもそも映画はカメラの前の対象をフィルム上に記録することが目的のものである。いっぽう、ライブイベントである演奏や演劇は意図して撮影や録音を行わなければ上演内容の記録は残らない。古いものを知るには文字情報に頼らざるを得ないことが多い。

写真4-51 日比谷の帝国劇場で上演されたコミックオペラ『モルガンお雪』に出演する越路吹雪。当時まだ宝塚歌劇団に在籍中であった(1951年、ヘンリー・H・ソウレン撮影)

 写真4-51は同じくソウレンが撮影した、1951年に東宝が製作したコミックオペラ『モルガンお雪』の帝国劇場での公演で歌う、当時まだ宝塚歌劇団に在籍中だった越路吹雪の姿である。コミックオペラは現在も上演されている東宝ミュージカルへとつながるもので、『モルガンお雪』はその第一回作品であった。

写真4-52 『モルガンお雪』の舞台から。中央眼鏡の男性は古川ロッパ、左が越路吹雪(1951年、ヘンリー・H・ソウレン撮影)

 写真4-52の中央には越路と並び共演の古川ロッパの姿も見える。舞台を撮影することは容認されていたようで、堂々とフラッシュを焚いて撮られたスライドが19枚、フラッシュは控えめになったものの同じ年に上演された越路吹雪主演の第二回コミックオペラ『マダム貞奴』のスライド40枚が筆者の手元にある。

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