血の海の中で写真を撮る
陸軍の戦闘機「疾風」の前でポーズを取る米兵や重爆撃機「飛龍」のコックピットから身を乗り出して写真に収まるソウレン本人など、記念撮影を楽しんでいる姿が見られ、彼らにとってもかつての敵の航空機を間近で見ることは非日常的なイベントだったことがうかがえる。しかしそのあと本来の任務を遂行し、航空機は炎に包まれる。破壊に来た人物により、現在では存在しない航空機の色や様子がわかる重要な記録が残されている。
特異な場所に勤務していた撮影者として、写真4-40のベンジャミン・ゴールドバーグが挙げられる。GHQからの派遣文官として、1950年から翌年の第五次南氷洋捕鯨に参加し、日本水産の捕鯨母船「橋立丸」に乗船している。
長期間無寄港のため、200枚ほどのスライドからなるコレクションの内容は、船上での相撲大会や赤道祭、血で真っ赤に染められた甲板上での鯨の解体作業など(写真4-41)、航海中に撮影されたものが多数を占める。
当時水産学科在学中の21歳の学生で、研究とアルバイトを兼ねて参加した小松錬平(のち朝日新聞編集委員)は自著『ルポ鯨の海』で、眼鏡をかけていることを隠して日本水産に乗船を頼み込み、出航して三日目の海上で眼鏡をかけたところ、「なんだ、その眼鏡は。君は我々をだましたのか」と難詰されたことを書いている。乗組員が集団で写っている他の写真にも眼鏡をかけている人物がほぼ見られず、年恰好などからも写真4-42で鯨の上に座っている左端の眼鏡の人物が小松ではないかと思われる。
また横浜港での出航式典を写した写真の中には、GHQ天然資源局の局長で、ゴールドバーグの上司でもあるシェンクの姿も見える(写真4-43)。ゴールドバーグ自身の姿は、甲板上でくつろぐ様子やキャッチャーボート上のものなど、数は少ないがはっきり写ったものが多いため、あらかじめ遺族により抜かれたものではなさそうであり、また現状の内容から見ると職務と個人的な趣味の双方を兼ねて撮影されたのではないかと考えられる。
このセットには2枚だけ富士フイルム製のカラースライドが含まれていたが、その1枚は氷山を背景に捕鯨船団の航路を示した、加工された画像が使用されていた(図4-8)。ゴールドバーグの所属していた天然資源局ではカラースライドを使用したプレゼンテーションが行われており、この富士フイルムのスライドも、帰港後の報告会で現在のパワーポイントの「スライド」のように使用したものかも知れない。