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 これらはバラ売りされており、筆者が気づいたものはすべて落札したが、現状では双方の演目でコマ番号が大きく飛んでいる箇所があるため、本来はもっと多くの枚数が撮影されていたはずである。ほとんど競ることがなくすべて開始値かそれに近い値で入手できたのは、舞台という人工的な空間が被写体のため、占領期の街頭風景を写した写真ほどは他の好事家にとって魅力がなかったためかもしれない。

軍関係者の日本の劇場への入場

 占領初期には禁止されていた軍関係者の日本の劇場への入場は、1949年に解禁される。帝劇の入口には英語のみで書かれた看板が設置され(図4-13)、パンフレットの冒頭には英文でキャストとあらすじが書かれており、東宝には当初から占領軍人やその関係者を呼び込む目論見があった(武田寿恵「越路吹雪の「つきずきしさ」」)。そのためには撮影可能であることは有利に働いたのかも知れない。

図4-13 帝国劇場に設置された英語の看板(1951年、ヘンリー・H・ソウレン撮影)

 『モルガンお雪』の舞台写真には即興漫画を描く芸人やヌードダンサーたちの姿も見られ、これら連続した写真からは「統一感に乏しく、ごった煮という印象」という音楽評論家の安倍寧の言葉通りの雑然さを実感できる。ソウレンのコレクション内には歌舞伎やオペラ公演の写真が数種見出されるものの、特に演劇に興味があった様子はない。越路吹雪の二公演の観劇は、図4-13に写る同行者の女性―恐らく恋人―が希望したのだろう。『貞奴』のスライド群には同じ場面で撮影位置が異なる写真が混在しており、少なくとも二回は見に行ったのではないかと考えられる。

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 ソウレンは軍務時代には将校、文官時代も将校待遇の地位であり、日本滞在時には独身であった模様で、やはり経済的に余裕があることから、カラーフィルムを惜しげもなく使用できたのかもしれない。

 ちなみに舞台写真ではないが、『モルガンお雪』上演の際に撮影されたと見られるロッパと越路吹雪のカラーポートレートは、GHQの陸軍通信隊カラー写真班長だったディミトリー・ボリア撮影の写真集『GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン』に見出すことができ、双方ともソウレンのスライドに写っている舞台衣装を着用している。