「苦くて香り高いのが特徴。具体的には、ヒノキや松、レモングラス、ディル(魚料理に使うハーブ)を想起させる重層的な香りを醸し、余韻はココナッツのような甘い香りとなる。ベタベタせずに最後は、さわやかに抜けていく。日本生まれのフレーバーホップとして世界のクラフトビール界で評価されています」
北海道空知郡上富良野町にある同社の研究所にて、品種開発がスタートしたのは1974年。10年に及ぶ奮闘により世に出たものの、ソラチエースが日本で脚光を浴びることはなかった。
活躍の場を見出せないまま、ソラチエースは1994年にアメリカに渡る。日本のプロ野球で芽が出なかった選手が、大リーグに挑戦するように。
世界のクラフトビールを支えるホップへ
キーマンになったのは、サッポロの研究者・糸賀裕。80年代、チェコのザーツホップがウイルス被害に遭ったとき、サッポロの独自技術によりこれを救ったが、この支援を主導したのは糸賀だった。個性的なアロマホップであるソラチエースの可能性を信じていた糸賀は、人的なネットワークによりオレゴン州立大学に持ち込んだのだった。
しかし、すぐに認められたわけではない。渡米から8年後の2002年、ワシントン州のホップ農家のマネージャー、ダレン・ガメッシュが埋もれていたソラチエースを見出したのである。それから5年ほどが経過し、ガメッシュは07年頃から全米のクラフトビールメーカーにソラチエースを紹介する。すると、上質な苦みと強い香りの高苦味アロマホップとして、有力なクラフトビールメーカーが次々に採用していく。
その一つが、ニューヨークのブルックリン・ブルワリーであり、ブリューマスター(醸造責任者)を務めるギャレット・オリバーが、その個性溢れる日本発・アメリカ産のホップを世界へと広めていった。「ブルックリン ソラチエース」という製品を通して。
ソラチエースはこうして、サッポロ社内では社員でさえ知らないのに、欧米のクラフトビールをはじめとするビール関係者の多くが知る存在となっていった。現実にアメリカを中心に世界のクラフトビールを支えるホップになっていく。