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「助けて!」無視された子供の叫び、広がる血だまり、そして遺体をあさる野犬…ロシア軍がなだれ込んだマリウポリの“阿鼻叫喚”

『戦時下のウクライナを歩く』より#2

2023/08/01

genre : ライフ, 社会, 国際

note

 2022年2月24日、突如として始まったロシアのウクライナ侵攻。戦争で変えられてしまった日常をウクライナ人は、どのように過ごしているのだろうか。戦時下で生きる彼らの声を日本人記者が現地で徹底取材した『戦時下のウクライナを歩く』より一部抜粋。ここでは侵攻直後、多くの子どもたちや非戦闘員が虐殺されたマリウポリ市を生き抜いた人々の証言を掲載する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

灰になった夢と町

 ディアナさんは、家の前の通りを逃げまどう人々の姿にショックを受けたという。パジャマ姿の人や、寒さをしのごうとタオルを体の上から巻いて歩く人。彼らは、自分の家がロシアに破壊されて住めなくなった人たちだった。どこでもいいからと、隠れられる場所を探していたのだ。

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 その原因を作ったのはロシア軍である。その頃すでにマリウポリ市を包囲し、建物を戦車で砲撃し、空から爆弾を落とし、町を破壊しつくそうとしていたのだ。

©時事通信社

「私は、街をさまよう人々の姿を見て、『戦争の前線』が我が家に迫っていると思いました」

 ただ、逃げるのも怖い。いつどこでロシア軍に射撃されるか分からない。

「せめて数日間だけでも生き延びよう」と、近所同士の助け合いが始まった。例えば、ディアナさんの隣人は、幼稚園で給食用に使っていた大鍋を路上に持ち出し、そこで煮炊きを始めた。それぞれが自宅の家具を壊して薪にし、大釜の下に積んで火をつけ、スープなどを作ったのである。

 しかし、3月中旬にはそれも難しくなった。戦車が街中の通りを走り、砲撃がいっそう激しくなったのだ。

「私の町はロシアにすっかり壊されてしまいました」

 ディアナさんは20年間、市役所でマリウポリの文化行政を担当した。

 

「ソ連時代の古ぼけた施設の多い町から、欧州的な明るい町に作り変えたのです。この6、7年で公園をきれいにし、市民ホールや図書館を建て替えました。伝統文化を生かした新しいお祭りもやり、そこに若者も参加しやすいよう工夫しました。町にやってきた人々に魅力を感じてほしかった。それにより経済的な投資も増やしたいと考えていました」

 だが、その夢も町もすべて灰になってしまった。

マリウポリ劇場に広がった地獄

 この市の文化の中心地も、ロシア軍の牙からは逃れられなかった。市の中心にあるドネツク州で唯一の劇場、マリウポリ劇場が3月16日に空爆され、崩壊したのである。