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クサさがクセになる“くさや汁”、歯が折れるほど固いパン、水牛の生クリーム……イラクの辺境メシがウマすぎた!

高野秀行✕酒井啓子対談 その1

source : ライフスタイル出版

genre : 国際, ライフスタイル, グルメ, 政治

note

軍が派遣されてくる一番ヤバいところだった

酒井 1986年~89年の間、イラクに大使館の仕事で滞在していたのですが、88年までイラン・イラク戦争があって、『イラク水滸伝』にも書いてある通り、湿地帯は戦争の前線地でした。武装集団が逃げてきて湿地帯に隠れ住んでいるところに軍が派遣されてくる一番ヤバイところでしたから、絶対に旅の許可は下りない。

 ところがイランとの戦争が終わって88年の冬、試しに許可を申請したら下りたんですよ。政府も戦争が終わったことをアピールしたかったのでしょう。その頃はサダム・フセインの強権的なコントロールが効いていたので、ある意味安全に、モーター付のボートで湿地帯に入れました。ほんの2日~3日の旅でしたが、湿地から水牛がモーッて出てきて楽しかったですね(笑)。90年のイラクによるクウェート侵攻以降、また行けない場所になりましたから、奇跡的なタイミングでした。

湿地帯の水牛 ©️高野秀行

高野 本当にイラクは大変なことが次から次へと起こる場所ですよね。クウェート侵攻の失敗後、湿地帯は反政府組織の拠点となって、政府軍との激戦地になりましたし、その後、フセインが水を堰き止めて湿地帯は壊滅状態に追い込まれました。

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アフワールは探求しがいのある秘境であり、イラク現代史のルーツ

酒井 アフワールはイランに一番近いし、クウェートにも近いので、みんなが逃げ隠れする、まさに水滸伝的世界なわけです。高野さんのような探検家と私のような政治研究者がなぜ話が合うかというと、湿地帯がイラクの現代史、政治史にとってすごく重要だという共通点がある。高野さんにとっては探求しがいのある秘境だし、私にとってはイラク現代史のルーツだから。

酒井啓子さん

 湿地民は、近代以降一貫して、ものすごく貧しい生活をしてきました。葦でしか家を作れないような浮島に住み、しょっちゅう水浸しになりますし、飼えるのは水牛くらいしかいない。こんな生活は嫌だといって、一部の湿地民は、50~60年代のバグダードの高度経済成長期に、葦の家と水牛を連れてバグダード郊外に移り住むんです。バグダードの堤防の外側はよく水があふれる湿地状態なんですが、そこで彼らが葦の家を建て始めたので、政府は「これはまずい」と考えて、低所得者層向けの住宅を作るようになった。

 そんな貧しくも湿地帯から都会に移住してきた彼らは、「成り上がってやるぞ」という意欲が高く、そこから共産党員やイスラム主義者が沢山出てきて、社会の矛盾を全部抱えて社会改革を掲げて政治的にものし上がっていく。それがバグダードの現代史を作り上げていった歴史が面白くて。