3畳一間のアパートでデッサンに明け暮れて…
3畳一間のアパートで東京での生活をスタートさせた柴崎さんは、杉並区の高円寺にあった阿佐ヶ谷美術専門学校に遅れて入学した。
「実家の天井には太い梁があって囲炉裏の煤で真っ黒でしたが、目白のアパートで目を覚ましたら、柱が細くて白いんです。ああ、違う人生が始まるんだなとしみじみ思ったのを覚えています」
新宿の世界堂で大きな石膏像を買うと、そのままかついで山手線に乗り込み目白のアパートまで運び込んだ。
「田舎者でしたから、恥ずかしいという気持ちはまったくなかったですね」
三畳間に安置してみると、デッサンをするには距離が近すぎる。仕方なく、柴崎さんの方が廊下に出て距離を取るようにした。
阿佐美には藝大受験のために何浪もしている異様にデッサンの上手い人が何人もおり、柴崎さんは自分が世間知らずの井の中の蛙だったことを思い知ることになった。彼らの背後に陣取って、デッサンの技術を盗む日々を送った。
そんな中、柴崎さんはなんともいえない閉塞感を感じるようになっていた。憧れの東京はとても人が多かった。外へ出れば、どこもかしこも人ごみでうんざりする思いがした。「人の後にくっつくのがいや、徒党を組むのもいや。東京に出てきて、自分にそんな性質があることに初めて気がつきました。あの頃は、ただひとりでずっと絵を描いていましたね」
「お前面白いヤツだな」
一年に少し足りない期間を阿佐美で学び、校内のコンクールで3位に入るまでに腕前を上げた柴崎さんは、藝大を受験した。
1次試験のデッサンには自信があった。しかし、2次試験は油絵である。学費と生活費を稼ぐためのアルバイトに時間を取られて油絵の勉強まで手が回らず、高校時代の自己流からほとんど進歩していなかった。2次試験を受けるには受けたものの、柴崎さんは合格発表を見に行くことすらせずに藝大進学をあきらめてしまった。
このままでは口さがない人の多い田舎には帰れないと思い詰めていたとき、たまたま電車の中吊り広告で、開設間もない和光大学に芸術学科があることを知った。私立は国立よりも試験日が遅い。まだ間に合う。