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「私が死ぬことで解決できるなら、死ねばいい」借金地獄、離婚、年齢的な衰え…どん底だった猪木が人生を賭けた“巌流島の決闘”

『教養としてのアントニオ猪木』より #2

2023/11/10

genre : ライフ, 社会

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離婚前に飛び込んできた、巌流島での決闘

 離婚は美津子さんから言い出したという。美津子さんは猪木の借金問題を支え続けていたが、猪木は現実から逃げたくて家に帰らずに遊び歩いていた時期もあった。前年には女性問題が写真週刊誌『FRIDAY』で報じられていた。こうして徐々に夫婦生活に亀裂が入ったという。

《心の奥底に、死んでもいいという気持ちがまだあったし、ヤケクソになっていたのかもしれない。どうせ死ぬなら、私らしく、闘って死にたいと思った。》(猪木自伝)

 このタイミングで巌流島のプランが猪木に飛び込んできたのである。

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《私が巌流島で観客なしの決闘をする、と言い出したとき、ほとんどの人は気が狂ったと思ったのではないか。》

 そんな馬鹿な話に乗ってくるプロの選手はいないか。すると、マサ斎藤が名乗りを上げたと猪木は語る。

 猪木と斎藤は若き日の東京プロレス時代からの縁があった。1966年に豊登が海外修業中の猪木を口説いて旗揚げした東京プロレスに、斎藤は参加していたのだ。レスリングで東京五輪にも出場した斎藤は猪木とよくスパーリングもしていたという。東京プロレス崩壊後は猪木は日本プロレスに復帰し、斎藤は海外に活路を求めた。互いのことは実力も知り尽くした仲だった。

《彼は何も言わなかったが、苦しんでいた私の思いをわかってくれたのだろう。(略)それにしても私も馬鹿だが、それに乗ってきたマサも大した馬鹿だ。》(猪木自伝)

©文藝春秋

リングを下りて草むらで絡み合う2人…2時間超えの大乱闘

 巌流島の闘いは猪木が正式に離婚届を出した2日後に行われた。

《何だか無性に泣けてきた。涙が溢れだして止まらないのだ。ここに至るまで、私は自分を追いつめてきた。だからそのときは本当に、もう死んでもかまわないと思っていた。こんな命なんて惜しくない、マサに殺されるなら、本望だ。》

 そうして行われた闘いは、ルールなし、レフェリーなし、観客なしの時間無制限。立会人は坂口征二と山本小鉄。

 夕方に火ぶたが切られた決闘の地には、いつしかかがり火がたかれていた。試合は2時間5分14秒、猪木が裸絞めで斎藤を失神させ、戦意喪失によるTKOで決着。

 2時間超えという時間にも驚くが、この試合での猪木のさまざまな「行動」や「表情」にはさらに驚いた。リングを下りて草むらで絡み合う2人。流血しながら何か叫んでいる。その血はよだれと合流し、猪木は赤い糸のようなものを垂らしながら斎藤を殴っている。いつもよりさらに正気の沙汰ではない猪木に、私は怪訝な思いだった。シュールな映画を見せられている感覚に襲われた。猪木のプライベートに重大なことがあったと知ったのはしばらく後だ。