2022年、この世を去った稀代のプロレスラー・アントニオ猪木。プロレスというジャンルに市民権を与えようと奮闘してきた猪木の言動は、一介のスポーツ選手のそれとは違う、謎をまとっていた。
ここでは、“時事芸人”であり、プロレスファンでもあるプチ鹿島さんの著作『教養としてのアントニオ猪木』(双葉社)より一部を抜粋。プロレス時代のことをあまり語らない長州力が、珍しく熱く語ったという、猪木の「マッチメイク論」とは――。(全2回の1回目/後編を読む)
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猪木の死を、長州力はどう語ったのか ―人生を「マッチメイクする」―
猪木死すとの報を受けて、紙媒体でもさまざまな猪木特集が組まれた。読みごたえがあったのが『KAMINOGE(131号)』だ。この月刊誌は「世の中とプロレスするひろば」というモットーを掲げ、「特にプロレスを語らないプロレス本」という独自の立ち位置にいる。
表紙を飾るのはレスラーや格闘家のほか、編集部が気になる人が起用される場合が多い。
M̶1グランプリをかっさらった直後には錦鯉が起用された。甲本ヒロトは創刊時から何度も表紙に登場している。なぜか西村知美のときもあった。
『KAMINOGE』という名前は新日本プロレスの道場がある「上野毛」を連想させる。道場はもともとアントニオ猪木の自宅だったものを建て直したという歴史がある。ということは『KAMINOGE』は猪木イズムの影響が大きいのだろう。
だとしたら「世の中とプロレスするひろば」という意味もよくわかる。やはり猪木を考えることは、世の中を考えることでもあるのだ。ありがたいことに私は巻頭コラムを担当させてもらっていて、プロレスに限らずその時々で気になったことを書いている。これこそ、井上崇宏編集長イズムである。
かつて猪木に言われた言葉をインタビューで紹介
そんな『KAMINOGE』が、猪木の死後に出したのが第131号だった。井上編集長が何を書いてくるかに、ひそかに注目していた。すると表紙は一度見たら忘れられない猪木の笑顔が弾けていて、コピーは「猪木は死んだが、あの人への想いと記憶だけは生かさせてくれ」。
編集長の叫びが聞こえた。誌面は最初から最後までいろんな人が猪木を語っていた。
その中でもプロレスの知識や興味がない人でも、絶対に面白いと思うであろう言葉があった。
それは長州力のインタビューだ。長州は今やタレントとして大人気だが、それに反比例するかのようにプロレス時代のことはあまり語らない。しかしこの号ではガッツリ語っているのだ。