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 当時の有吉さんは共演者に「ニックネームを付けて毒づく」という得意技があった。あのときの現場でも進行上はそんな流れを求められていたかもしれないが、「おしゃべりクソ野郎」というフレーズは本人の渾身の言葉だ。いわゆる「体重が乗っていた」言葉である。だから人生を変えた。場の沸き方を見れば、机上の計算だけでは決して出てこないものだったろう。

有吉弘行氏 ©共同通信

 どんな人にも当てはまる、与えられた座組の中でいかに自分を出すかという命題。長州のインタビューはプロレスの知識がない方にも参考になりそうな「人生のマッチメイク」論であった。

猪木の人生のマッチメイクに感嘆

 社会に出れば、誰にでも組織や集団から与えられた場所や役割がある。時にはその殻をぶち破るために、自分自身でマッチメイクする。成功すれば人生が変わるし、失敗するリスクもある。これぞ真剣勝負だと思うのです。それはどんな職業でも同じだ。

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 だから国会の茶番みたいなものを簡単に「プロレス」って言っちゃう人には、プロレスファンからすれば怒りと呆れしかないのだ。このことをくれぐれも理解してほしい。似たような使い方で「歌舞伎」と言っちゃう人もいるが、そんな適当な使い方をしたら歌舞伎ファンが怒るのと同じだ。

 最後にまとめると長州は猪木についてこう語っている。

《自分が作ったマッチメイクを、最終的にそこまでのリスクを負ってまでやり切ろうとする人はいないけど、会長はそれができる人だったんだよな。》(長州力)

 長州も猪木の人生のマッチメイクには感嘆しかないようだ。

「実はあのときの真相は……」とペラペラ喋らない理由

 さて、冒頭のほうで長州はプロレス時代のことはあまり語らないと書いたが、それもプロ意識から来ているのだと思う。長州は「あのときは実はああだった」とか決してペラペラしゃべらない。最近では元プロレスラーが動画や書籍で「実はあのときは…」という昔話をする人がいるが、長州はそういう人を毛嫌いしているのだ。なぜかと言えば……。

©文藝春秋

《いかにも得意げにしゃべってる。しゃべってもいいよ。ただ、「お前は真剣じゃなかったからそれを言えるんだろ」って。(略)それを言っちゃダメというか、隠せとは言わないけど、やっぱりしゃべったらダメなんだ。それはなぜかって言うと、ファンはいろんなことを想像し、思い描いている。特にそれを作り上げていったのがアントニオ猪木だったのは間違いない。》(『KAMINOGE』131号)

 猪木も長州も決して「実はあのときの真相は……」などとペラペラしゃべらない。スーパースターという自負があるからだろう。ファンを大切にするからだろう。そんな生き方を選んだ長州力が「面白いおじさん」としてバラエティ番組で笑いを誘っているのを見ると、なんだかグッとくるのである。