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「保育園の頃から裸になりたかった」4歳で性に目覚め、19歳から風俗勤務…元吉原ソープ嬢の写真家(51)が語る“壮絶な生い立ち”

色街写真家・紅子さんインタビュー #1

genre : ライフ, 社会

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――中学時代はどうでしたか。

紅子 中学校も行ったり行かなかったりなんですけど、少しずつ話せるようにはなりましたね。ただ、イジメには遭っていました。家がゴミ屋敷みたいな感じで、お風呂もほとんど入ってなかったので、たぶん私の体が本当に臭かったと思うんですよ。だから「汚い、近寄るな」と言われて。

男の人に声をかけられたくて、深夜に家の周りを1人で徘徊

――中学時代も絵を描いてました?

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紅子 描いてました。中学時代には絵画教室に行って、女の人のヌードデッサンをやらせてもらったこともありました。男性ばかりの大人の中に、中学生の女の子が1人だけいるみたいな、異様な雰囲気でしたね(笑)。中学の部活も、一応美術部みたいなところに入っていました。

――裸への憧れみたいなものは変わらず?

紅子 ありましたね。中学生になったら、男の人に襲われたいと思うようになって。深夜に家の周りを1人で歩いてみたけど、誰にも声をかけられず、さみしい思いをしながら帰宅したこともありました。

――中学卒業後は、アート系の専門学校に行ったそうで。

紅子 埼玉にある女子校に入学したんですけど、高校でも人間関係につまずいて、1カ月くらいで不登校になってしまって。学校が大宮方面だったんですけど、いつも上野のほうに行ってフラフラしてました(笑)。

 それで半年ぐらいで退学して、その翌年に専門学校の高校課程に入学したという経緯です。もともと絵が好きだったので、そこは私にとって夢のような学校でした。

家にお金がなく、自分でアルバイトをして学費を稼ぐ

――学費はご両親が?

紅子 いや、両親に払ってもらうのが申し訳なかったのと、家にお金がなかったのもあって、飲食店でアルバイトをして自分で払っていました。

 

――授業もあるなかで大変ですよね。

紅子 そうですね。学校に行ったあと、17時から22時まで天ぷらを揚げるような仕事をして、帰ったらすぐに寝て。深夜2時とか3時に起きて、今度はサンドイッチを作るアルバイトをして。

 サンドイッチの仕事は、実家のお菓子屋の手伝いだったんですけど、それを朝7時までに作り終えてから学校へ行く、みたいなスケジュールを毎日のようにこなしてましたね。

――卒業したのは何歳のときですか。

紅子 同い年の子よりも1年遅いから、19歳のときですね。

――先ほどのお話では19歳から風俗店で働いていたそうですが、それは専門学校を卒業してから?

紅子 専門学校の高校課程を終えて、その上の専門課程で学んでいるときです。学費もあるし、絵画を描くための画材費がとても高いから、出費が激しくて。いくらアルバイトしてもお金が足りませんでした。