日本各地の遊郭や、赤線・青線の跡地を撮影する「色街写真家」の紅子さん(51)。2023年12月には全国の色街を撮り収めた写真集『紅子の色街探訪記』を発売。自身のYouTubeチャンネル「紅子の色街探訪記」は登録者数が3万6000人を超えるなど、注目が集まっている。

 紅子さんは約13年間、性風俗店で働いていた経験を持つ。そんな彼女に、吉原のソープランドで働き始めたきっかけや、色街写真家としての活動内容などを聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)

色街写真家の紅子さん ©杉山秀樹/文藝春秋

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22歳のときに吉原のソープランドに応募

――紅子さんが吉原のソープランドで働き始めたのはいつ頃ですか。

紅子 22歳くらいからですね。

――働くようになった経緯というのは。

紅子 22歳のときに渋谷のピンサロで働いていて、そこのお客さんから「吉原って知ってる?」と言われたんです。もちろん聞いたことはあったけど、関西のほうにあるのかなと思っていたくらい、当時は詳しくなくて。そのときに「浅草にある」と教えてもらって、「あ、そんな近所にあったんだ」と驚きました。

 で、そのお客さんから「本番行為がある吉原のソープなんかに行ったら、人生の終わりだからな」って忠告されたんです。でも私は当時、ずっと人間関係がうまくいかなくて、どうやって生きていったらいいか分からなかったので、行ってみようと思って。その翌週には吉原のソープランドで面接を受けて、働き始めたという感じですね。

吉原のソープランドで働いていた28歳頃の紅子さん(写真=本人提供)

――実際に働いてみて、いかがでしたか。

紅子 当初のイメージとはまったく違いました。ちゃんと講習があって、お店のマネージャーさんが、服の脱がせ方とか、お客さんに背を向けてはいけないとか、そういうマナーをひとつひとつ丁寧に教えてくれて、すごく優しかったですね。

 もちろんお店側には、女の子に安い給料で気持ちよく働いてほしいという考えがあって、チヤホヤしていたと思うんです。でも私にとっては、初めて仕事で人に認められたというか、受け入れてくれた場所でした。