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身体の疲れで精神的にボロボロになり、32歳で風俗を引退

――それまで働いていたお店とは違った?

紅子 そうですね。その前に働いていた渋谷のピンサロではかなり浮いていたけど、吉原のお店は、私の雰囲気とも合っていたと思います。地味な私に対してもお客さんが来てくれたというか、普通の子でも受け入れてくれた。

――吉原のソープランドで働かれたのは32歳までとのことですが、辞めた理由は?

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紅子 今の時代は熟女風俗とかもあって、50歳でも働いている人が多いと思うんですけど、私が働いていたときは、まったくそういう感じではなかったんですね。働いてもせいぜい35歳くらいまでみたいな。だから32歳になったときに、「もう先が見えないな」と思って。

 あとは、体が疲れ過ぎていたのもあります。どうやっても体の疲れが取れなくて、しかも体全体が痛むんです。別に何かの病気になっていたわけでもないのに。その痛みのせいで精神的にもかなりボロボロになってしまったので、辞めたという感じですね。

 

結婚、出産、離婚を経て48歳から写真を撮り始める

――辞めてからはどうされたんですか。

紅子 吉原のお店を辞める頃に結婚して、辞めたあとは友だちがやっていた“大人のおもちゃ屋”で3年くらい働きました。

 妊娠したのを機にそのおもちゃ屋を辞めて、34歳で子どもを生んだんですけど、私が36歳のとき、旦那さんにほかに好きな人ができて、離婚することになって。

 私は当時無職だったし、それまでちゃんとした職歴がなかったから、仕事探しは大変でしたけど、何とか事務職に就きました。

――お子さんを1人で育てながら、写真を撮り始めたのはいつ頃だったのでしょう。

紅子 48歳のときです。子どもが中学生になって、ある程度自分の時間が取れるようになってからですね。元々あちこち歩き回るのが好きだったので、いろいろな場所を歩いて、スマホで写真を撮るようになって。その後、一眼レフで撮影するようになりました。

紅子さんが撮影した吉原のソープランド街(写真=本人提供)

――紅子さんは10代から20代前半にかけてアート系の専門学校で絵画を学ばれていましたが、また絵を描きたいという気持ちはなかったのですか?

紅子 実は、40代後半で何か形に残すものをやりたいと思って、独学でデジタルアートを始めたんです。デジタルで絵を描いて、それを動かすみたいな。

 それをSNSにアップしたら褒めてくれる人もいたんですが、1日1投稿するのを続けられなくて。それで、並行してやっていた写真をインスタグラムにアップするようになりました。